2008-04-20

ダイクマ的 第46号「ハイクマ歳時記・春」を読む 馬場龍吉

ダイクマ的
第46号「ハイクマ歳時記・春」を読む     馬場龍吉




ダイクマ的などと言っては失礼だろうか。ダイクマとは、wikipedia参照。平たく言ってしまえば家電量販店(ホームセンター)なのだが。「ハイクマ」を目にしたときに、端的な連想がここに至ったのである。週俳、第46号「ハイクマ歳時記・春」を読んで「ハイクマシーン」を略して「ハイクマ」ということがわかってスッキリした。

2005年11月、谷雄介、佐藤文香、上田信治の3名によってスタート。 2007年1月、谷雄介が脱けて、二人が残る。 佐藤文香と上田信治による俳句ユニット=ハイクマシーン。サイト http://www.haiku-machine.com/ ここを覗いてもらうとわかることだが、俳句活動だけでなく両氏の日常の巾広い俳句素材がわかる仕組みになっている。そういった意味でダイクマ的と言ったまでで他意はない。

さて、肝心の〈ハイクマ歳時記・春〉では、したたかなまでの俳句魂が垣間見られ、デュエットではなく、あくまでもユニットであることも頷ける。

  【鶯】(うぐひす)

  鶯や落款に血のかよひたる     佐藤文香
  うぐひすや水こぼしつつ運びつつ  上田信治

佐藤文香の鶯は戸外から聞こえてくる。そして色紙か短冊に黒々と書をしたためた後、落款を息を整え心を込めて押す。その朱印が春先のまだ肌寒い冷気に鮮明なのだ。対して上田信治の描く人物は鶯とともに戸外にいる。寒風のなか少し汗ばみながらも水を運んでいるのだ。「うぐひす」「水こぼしつつ」「運びつつ」のかな表記が水の柔らかさを写して的確だ。

  【梅】(うめ・むめ)

  ほんたうに梅咲いてゐる梅ヶ丘   上田信治
  目つむるといふ待ちやうも梅の花  佐藤文香

たとえば、百合が丘、つつじが丘、ひばりが丘という地名を持つからといって、それぞれが溢れるほど見られるとは誰も思ってはいない。それはイメージの地名だからだ。地名の梅がほんとうに咲いてる。上田の発見は読者の驚きに変わる。梅の花越しの春日のまぶしさにつむるものか、あるいは恋人のキスを待つ間につむるものか。佐藤の「梅の花」は若々しい。

  【春深し】(はるふかし)

  春深し能面に歯のたしかなる    佐藤文香
  飯蛸の味噌汁となり春深し     上田信治

季語「春深し」は何にも当て嵌まるようだが、実は何にも当て嵌まるわけではない。春・夏・秋・冬の付く季語は俳句初心者ほど使いたがる。それは困ったときの季語としての使い方であって、何千句も作ってみると安易には使えないものであることがわかる。能面の句はすでに多々あるのだが、佐藤の「能面に歯のたしかなる」の発見と「春深し」の配合は能面の陰影をも彷佛とさせてくれる。上田の飯蛸は刺身になりたかったか。煮物になりたかったか。家人の都合で味噌汁の具になってしまった。飯蛸がたくさん入手できる地でないとこうはいかないことがわかる。この「春深し」には当然、亡き飯蛸の気持ちも入っている。

ユニットではあるが、両氏の描く俳句のタッチ、世界が違うところが魅力。



ハイクマ歳時記 佐藤文香・上田信治  →読む


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