2008-05-04

『俳句』2008年5月号を読む 五十嵐秀彦

【俳誌を読む】
『俳句』2008年5月号を読む ……五十嵐秀彦




大特集「今、気になる季語」 p63-

今月の特集はこれで、副題は「実作例でわかる季語の活かし方」とくる。まるで学習参考書のような題だなぁと思ってしまう。

内容はさらに5つのセクションに分かれていて、それぞれに次のような題がついている。

○これから取り組んでみたい季語
○兼題・席題で苦労した季語
○吟行で出会った、とっておきの季語
○どこに置くかで迷った季語
○どう選ぶかで迷った季語

あいかわらずHOWTO企画なのかしらん。この段階で早くも読もうという気持ちが萎えてしまいそうで困ったが、執筆者はそれぞれに真剣にお書きになっているのだろうから、編集者の付けた題にはあまり惑わされずに、筆者がそれぞれ季語をどうとらえているのか多少とも知ることができれば、と思うことにして読んでみた。


鈴木貞雄「季節の一つも…」 p64-

このタイトルは、芭蕉の「季節の一つも探し出したらんは、後世によき賜なり」から取られている。筆者はここで、新季語として「一つ火」「すすき念仏」を採り上げた。

これはどちらも時宗の宗教行事からきた言葉で、「一つ火」とは11月27日に執り行われる別時念仏の際に闇の中で打ち火をする儀式であり、「すすき念仏」は9月15日に行われ、花瓶に活けられた芒の周りを念仏しながら巡る儀式のことだ。

一遍上人や時宗を知っている人なら「常識」の部類のことで、鈴木氏以外にもこの句を詠んでいる俳人はいることを考えると、筆者が言うほど「新季語」でもないだろう。

しかし一般的とはいえないかもしれないので、ここで紹介されていることは意味があるかもしれない。

「これから取り組んでみたい季語」という題を与えられて書いたために、新季語というとらえかたをしてみただけで、作者にとっては、「一つ火」と「すすき念仏」が、詠わずにはいられない思いをかきたててくる素材だったのに違いない。


村上喜代子「時候や俳諧的な季語と遊ぶ」 p70-

こちらは「兼題・席題で苦労した季語」という題で、二十四節気七十二候を兼題として句を詠み続けた経験から感じたことを書いている。確かにこれ以上作りにくい兼題もないかもしれない。

筆者はその試みから《俳句は実のみで詠もうとすると報告的になりがち。俳句は文学であるから、時に虚実の皮膜を楽しみ、心を大いに遊ばせることが大事である》という思いに至ったようだ。


石嶌岳「俳句はリズム」 p77-

「どこに置くかで迷った季語」という題を、リズムの面から捉えてみた内容で、筆者は結論として《散文的な意味を消し、言葉が舞踏するかのようにリズムを持って生きていなければならないのだ。季語をどこに置くかということは、このリズムに耳を傾けることなのである》と述べている。

そして「どう選ぶかで迷った季語」という題には、14人の俳人が寄稿している。印象に残った言葉をいくつか書き出しておこう。

《歳時記に頼りすぎて、頭で俳句を作っていないだろうか。そんな不安が過ぎるときがある》野木桃花「里山を包む『霞』と『朧』」より

《出会うべくして出会うのが季語であると解したいが、常に眼前に季語がぶら下がっているわけではない。季語のいのちを掴みとる直覚を、鍛えたい》上田日差子「考えるより歩く」より

《作っている時は、自動書記のようになって、ただ、ひたすら、次から次へと、書きまくっていた》中岡毅雄「迷いようのない難しさ」より

《桜の花にせよ、植物を俳句に詠む場合、その植物を見る、感じる、空想してあまり迷わずに一つの表現に一発できめる》皆吉司「花の句のつくり方」より

《庭に目をやると、切り詰めた薔薇の枝から赤い芽がでている。団栗を蒔いた鉢は小さな水楢の林になった。その根元で菫が咲く。蘭の蕾から蜜が溢れ出す。植物を季語とするとき、その存在感は大きい。植物の持つ生命力は確かなものである。植物はもの言わず主張している》辻美奈子「植物は主張する」より

みなさん与えられた題にとまどいながら、ご自身の季語観を控えめに書いている。俳人にとって「季語」とは常に自ら問い返していることだろうと思う。安易に語ることのできないものだ。

眼前にものがある。花がある。風がある。雪がある。月がある。その、あるという不思議。それが季語であろう。

歳時記があって季語があるのではない。季語は便宜的なものではないのだ。とっておきの季語とか、どこに置くかとか、どう選ぶかという思慮は、季語がもつある種の呪力を知ることには何の役にも立ちそうにない。それは実作の中でしかとらえられないものであることを、上記に抜き出した発言があらわしているのではないだろうか。

いつか俳句総合誌が「季語」の本質に迫る企画を立ててくれることを待ち望んでいる。


高橋睦郎 特別作品50句「夏から夏へ」 p22-

相変わらず研ぎ澄まされた言葉に、追い詰められるような怖れさえ感じる作品が並んでいる。「写生」とか「現代俳句」とか、蔓延している悪しき通俗に背を向けた、孤心の俳人がここにいる。

 軒に垂るる蛇汝に問ふ淋しいか

 水呑みし蚰蜒絢爛の歩を返す

 この世かの世関門ぎぎと大花火

 揚雲雀野に火の舌を吸ひあへば




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