2008-06-22

「俳枕」1―鴫立庵と草間時彦― 広渡敬雄

新シリーズ
俳枕 1 ―鴫立庵と草間時彦―      
広渡敬雄

初出『青柿』2号



「鴫立沢」(→Google map




湘南・大磯は万葉の世から風光明媚なところとして知られ「相模路のよろぎの浜のまなごなす児らはかなしく思はるるかも」の歌がある。

その一角に「鴫立沢」はあり、西行法師が東国に下った折の「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮」の歌で知られる。

寛文4年、小田原崇雪が西行を慕い鴫立沢のほとりに、草庵を結んだのが始まりで、元禄8年江戸の俳人大庭三千風が俳諧道場として「鴫立庵」を再建。その後加舎白雄等が代々庵主を勤めた。

瀟洒な藁葺きづくりで、京都落柿舎、滋賀無名庵とともに日本三大俳諧道場として、毎年桜の満開の3月末に「西行祭」俳句大会が催される。最近では、村山古郷、草間時彦、鍵和田柚子が庵主を勤めており、庵内の200坪の庭園には西行堂(文覚上人作の西行木像)、円位堂、法虚堂、観音堂他句碑、墓碑がある。

  夕月や鴫たつさはの影法師   大庭三千風
  吹きつくし後は草根に秋のかせ 加舎白雄
  花の下は花の風吹き西行忌   村山古郷
  三夕の一夕の浦西行忌     阿波野青畝
  片陰や海の白さにつきあたる  滝 春 一
  大磯に一庵のあり西行忌    草間時彦
  円位忌の波の無限を見てをりぬ 鍵和田柚子

第21世庵主・草間時彦は、在庵15年。他に次の句もある。

  甚平を着て西行に謁えんと   草間時彦           

時彦の父時光は、鎌倉市長を勤めた俳人。自身は「馬酔木」、「鶴」を経て無所属。俳人協会設立後、理事長として、俳句文学館建設に尽力。食通としても知られ、粋で瀟洒な名文家でもある。

  冬の夜の金柑を煮る白砂糖
  さうめんの淡き昼餉や街の音
  春昼の鱈子を焼いてゐたりけり
  熟れ柿を剥くたよりなき刃先かな
  箸先の鱧の牡丹を崩すかな

だが、波郷に師事した昭和30年代前半はサラリーマン俳句のさきがけとして注目されていた。

  冬薔薇や賞与劣りし一詩人
  水仙やひそかに厳と昇給差
  秋鯖や上司罵るために酔ふ

生涯主宰とならず俳人協会に貢献、風雅な志を貫いた。結核で学業を中挫したものの、卑屈になることも、偉ぶることもなく人望が厚かった。時彦のような含羞と洒脱な俳人はもう出て来ないのではないか。

  甚平や一誌持たねば仰がれず
  公魚をさみしき顔となりて喰ふ
  しろがねのやがてむらさき春の暮
  われに肖て魦は苦き魚かな
  足もとはもうまつくらや秋の暮

平成15年83歳で逝去。句集『瀧の音』で蛇笏賞受賞。
  




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匿名 さんのコメント...

yomimashita