【週俳5月の俳句を読む】
小野裕三理屈でも情緒でもない不思議なあわい
スランプは水辺のさくら見た日から 伴場とく子
「理屈」というのは、だいたい俳句の世界では褒め言葉ではない。なんとかだからこうなる、みたいな因果関係を一句の中で述べることはだいたい忌避される。俳句とは理屈で読み手を説得するものではなく、情緒や美しさで読み手を説得するものだ、という考えがきっと暗黙のうちに共有されているのだろう。そう考えてみると、このような句は不思議な句だ。情緒一本槍で勝負している句ではない。何か理屈めいたものを纏っている。だが、よく考えると別に理屈というわけでもない。水辺のさくらとスランプには何か因果関係があるのかないのか、読み手は理屈でも情緒でもない不思議なあわいに誘導されていく。
野茨や夜間飛行の翼ぬれ 杉山久子
ときおり、殺し文句のような俳句を見かけることがある。この句はまさにそのようなものだ。夜間飛行の翼ぬれ。ぐっと来る言葉だが、その喚起力は一方でどこか大袈裟でもある。またそれだけでなく、そのような殺し文句はどこか類想感も常に孕んでいる。うまく使えば効果的だが、使い方次第ではせっかくのいい素材も台無しになる。結局、この場合の決め手は季語だ。季語のセンス次第で、殺し文句がぐっと生きたり、どうしようもなく陳腐になったりする。この句は、そういう意味で季語がうまく斡旋されていると思う。
ペンギンの羽ばたき速し四月馬鹿 近 恵
面白い句だ。四月馬鹿という季語は意外に難しくて、何にでも合ってしまうようなところがある。要するに、何にでも取り合わせればそれなりに面白くなるが、その分全体に「緩く」なりがち。それが、四月馬鹿という季語である。その点この句は、その四月馬鹿の焦点がぼけずにきちんと嵌っているよく出来た句だと思う。ある意味での着眼点の俗っぽさ、そしてペンギンの存在感の面白さ、しかもその羽ばたきが速いというちょっとした発見、そのリズム感。そういったものが、四月馬鹿というあいまいな季語とうまく調和している。
フリージア栞多きをもてあます 星 力馬
この句も、発見の句と言えるだろうか。確かに新しく本を買うと、何枚も栞が入っていて、「あれ?」と思うことがある。しかし、通常はそれ以上深いことは考えない。栞がたくさん入っていたからと言ってそれほど困ることは特にないし、ないよりはあるほうがマシ、といった程度の話ではあるからだ。それをしかし、あえて「もてあます」と言ってみた面白さ。いや、細やかさ、とでも言うべきか。ふとした発見をそのまま見過ごさず、きちんと俳句の形に受け止めていく細やかさ、という意味だ。フリージアという季語もけっこう効いていると思う。
蛙ごと土さらはれし屋敷跡 玉簾
滑稽ということは、言うまでもなく俳句のひとつの大きな柱である。だが、滑稽というのはただのドタバタ喜劇的なものとも少し違う。一抹の哀しさというか淋しさというか、どこか世の中のちょっとした真理みたいなものを感じさせないと、俳句における滑稽というのは成立しない。この句は、そういう意味で俳句における滑稽さをうまく体現している。屋敷跡という場所の設定が効果的だ。屋敷というからには古い家なのだろうが、それが掘り起こされて新しいマンションでも建つのだろう。それは世の常で別に悪いこととも言えない。だが、ふっとした淋しさが残る。蛙だけではなく、確かに何かが一緒に失われていったのだ。
だつて蜂髪にリボンをつけなさい 中嶋憲武
どう解釈すればよいのか、しばらくの間考え込んでしまうような句である。上五と中七以下にいったいどういう繋がりがあるのか、それを単純な「切れ」とするには妙な因果関係もあるような気がして、とにかく気になる。この句を面白くしているもうひとつの要因は、それが会話体によって成り立っているということだろう。「だって蜂……」「髪にリボンをつけなさい!」という会話とも想像できる。そうだとすると、いったいどのような状況での会話なのか、想像は尽きない。現代の短歌において成功しているほどには俳句は会話体の取り込みに成功していないという印象があったが、会話体で成功しているこういう句もあるのだ。
発掘のけふは休みで翁草 菊田一平
考えてみれば、そういうことも人の生業のひとつなのだなあ、とあらためて感心することがある。例えば、発掘という行為。文化財の発掘というのは、文字通り悠久の時間を掘り出すような行為なので、まったく浮き世離れしたもののようにも思えるが、ちゃんと休みもある。発掘は発掘で、それを生業している人がいて、普通に生活をしている。考えてみれば当たり前なのだが、こうやって一句仕立てになっているとひとつの発見になる。さりげない言い方が、この場合はかえって効果的だ。
戦遥か夕焼色の飲物に 北大路翼
今回発表された十句は同じモチーフでの連作のようなのでその文脈で読むべきではあるのだろう。前書きに「ドンピン」とあるからなおさらである。しかし、それはそれ、一個の作品として想像を膨らませてみてもなかなか面白い。目の前にあるのは勿論ピンク色の飲み物なのだが、それを「夕焼色の飲物」とぶっきらぼうに言ってしまうと、不思議に夕焼けの表情がさっと一句の中に広がる。目の前にある飲み物(おそらくはとても高価な)と、それからふっと作者の記憶を突いて出てきた素朴な夕焼けのイメージ、そのふたつの光景が交錯するのはイメージの造形としてはなかなか悪くない。
■伴場とく子 「ふくらんで」10句 →読む■杉山久子 「芯」10句 →読む■一日十句より
「春 や 春」……近 恵/星 力馬/玉簾/中嶋憲武 →読む
縦組30句 近 恵 →読む /星 力馬 →読む
/玉簾 →読む /中嶋憲武 →読む■菊田一平 「指でつぽ」10句 →読む■Prince K(aka 北大路翼) 「KING COBRA」 10句 →読む
2008-06-01
【週俳5月の俳句を読む】小野裕三
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