2008-06-01

【週俳5月の俳句を読む】羽田野令

【週俳5月の俳句を読む】
羽田野 令あれは何の音なのか



首刎ねよ首を刎ねよと百千鳥    菊田一平

「聞きなし」だろうか。有名なのでは、時鳥の「東京特許許可局」や「テッペンカケタカ」があるが、時鳥を最初に聞いたときは、キョキョ、キョキョキョキョーと美しい声がしたので、ああ、これが特許許可局なのか、と思った。

春、小鳥が囀るのはいかにも楽しく長閑な光景であるが、そういう中で「首刎ねよ」と聞いてしまうとは何と言う聞きなしだろうか。光り溢れる中に潜んでいるその正反対のものを感じ取ってしまったのか。百千鳥だからたくさんの鳥なのだろうが、たくさんの鳥が「首刎ねよ」と言うのは、かなりすごい。一度そう聞いてしまうとなかなかそれが離れなくて、そのようにしか聞けないものであるが、春が来る度その鳥が鳴く度、作者は「首刎ねよ首を刎ねよ」と聞き続けるのだろう。



春暮れて枕の底にある鼓動   玉簾

眠れない時枕に耳をつけていて、幼い頃よく耳の奥で鳴る音を意識した。あれは何の音なのか。脈を打つ音なのか、血液の流れる音なのか、心臓の音なのか。いずれにしろ自分の音なのであるが、ここでは枕の底にある鼓動だと言っている。そう、確かに枕の底からする音だ。その一定の間隔をおいてくる音にじっと聞き入っている真夜中の孤独。それは寒夜ほどの厳しい弧絶ではなく、夏の夜の寝苦しさでもない。春の終わりの頃のだと言う。「春暮れて」には春闌けた憂さの感じがある。枕の底から聞こえてくる鼓動も、もの憂く響いているのだろう。



泉見に行つたきりなるおばあさん     杉山久子

行ったきりで帰って来ないのはちょっと怖い。「行つたきり」という言い方には神隠しに遭ったようなニュアンスがあり、そういう不思議さを含んだ物語性を感じさせる。神隠しの伝承は各地に残されていて、近代以前にはよく人の口の端にのぼったようだ。柳田国男の『遠野物語』にサムトの婆という話があるが、それは若い時に神隠しにあった女が三十年以上経って帰って来るという話である。

泉とはきれいな水の湧き出るものだから自ずから聖なるものの象徴のようなものであるが、その泉を見に行くとは何なのかと考えていて、黄泉という語の中に泉の字があることを思い出した。そうするとあっけなく謎解きされてしまったような気がした。このおばあさんは黄泉の国へ行ったのだ。すんなり納得できたら怖さが減ってしまった。




伴場とく子 「ふくらんで」10句 →読む杉山久子 「芯」10句 →読む一日十句より
   
「春 や 春」……近 恵/星 力馬/玉簾/中嶋憲武 →読む
 
縦組30句 近 恵 →読む /星 力馬 →読む 
         /玉簾 →読む /中嶋憲武 →読む
菊田一平 「指でつぽ」10句  →読むPrince K(aka 北大路翼) 「KING COBRA」 10句  →読む

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