2008-06-29

山口誓子『大洋』をめぐって 堀本吟×四童

飛行機は烏賊の通ひ路越えて飛ぶ
山口誓子『大洋』をめぐって


堀本吟 × 四童




俳句でしか到達し得ない可笑しさ

四童●
「日本の古本屋」経由で注文した『大洋』がきょう届きました。

 元日はガソリンスタンドも休む 誓子(平成四年)
 初茶の湯にて洋装の膝頭      (平成二年)

…のような首をひねりたくなる句は、『新撰大洋』で後から追加されたものだったのですね。『大洋』には入っていません。

誓子の遺句集には二種類あり、没後すぐ刊行された第十七句集『大洋』(明治書院・平成六年)が『紅日』以後『天狼』平成五年九月号に至る期間の全句四百八十一句を収録していたのに対し、『新撰大洋』(思文閣出版・平成八年)はさらに外部発表の百三十三句を加えたものらしいです。

一般に遺句集とは、完全を期すれば期するほど逆に玉石混淆の度合いを深めるのもやむを得ないところのようですね。

ちなみに、『新撰大洋』(思文閣出版・平成八年)はまだ新刊本を購入することができます。かつては新刊本だった売れ残りも、ロングテールなんて言われてみれば、いささかカッコいいです。


堀本●
『大洋』は(平成六年・明治書院刊)は私も持っています。

 雪を積む聖樹の銀の吊鐘も   誓子『大洋』(以下同)
 伊吹山木曾川にまで雪廣げ
 伊吹山雪の胸元開け拡げ
 富士裾野げんげを刷毛で塗りしほど
 霞む度が違ふ近江の山々は
 黄を主張せり菜の花の一劃は

初期の果断な「言い切り」が少なくなっていますね。予想はしていても、驚いたおぼえがあります。

倒置法使用だから、いちおうは句の世界として完結とは言えますが、こういう終わりかたは、どうしても未了性、まだつづくのだ…という印象を与えますね。

描かれている世界自体は、風景の書き方が鮮やかなので、嫌いではありませんが。

 烏賊火明るけれど寝るべき時が来し
 飛行機は烏賊の通ひ路越えて飛ぶ

気が付けば当たり前の光景ですが、さらに気がつけばただ事ではない、そこを「さすが誓子、誓子だから言い得た異様な当たり前ぶりだ」というべきなのか? 誓子ですら、写生とイメージを混淆して、その関係づけにとんでもない混乱をきたしている、と考えるべきなのか?

「烏賊の通ひ路」ねえ。これも変。


四童●
はい。どこか寺澤一雄のようでもあります。

 飛行機は烏賊の通ひ路越えて飛ぶ 誓子

これは、そうとう可笑しいです。俳句でしか到達し得ない可笑しさだと思います。


堀本●
「俳句でしか到達できない」…ねえ。あなたも結論を先にムリにこじつけたみたい。百人一首にある「夢の通ひ路ひとめよくらむ」の俳諧的パロディだとおっしゃるのですか? 今の、われわれの「何でもアリ」の解釈や言葉の好みに立てば、そう言ってもあながち間違いではないでしょうが。

 口開けて冬の金魚も吾に寄る   誓子『大洋』(以下同)
 ガラス越し冬の金魚と顔合す

「冬のソナタ」ばりの悲恋…(そして異類婚みたい?!)なこのシーンは、誓子自身の俳句鑑賞法や創作法の外に出来上がってきているようです。それぞれのモチーフや動作に必然性がないのです。かろうじて、おっしゃるように「冬の金魚」によって「折り合って」はいますけど。

作家としておもしろいキャパシティを埋蔵していた人だったんですね。好意的に見れば。

でも、俳句史上われわれが山口誓子に求めてきた要素が、ここで消えてしまっているような。


四童●
はい。和歌の俳諧的パロディというつもりは全然ないのですが、そりゃあ飛行機はどんな下界のものをも越えて飛ぶでしょう、という身も蓋もないばかばかしさに、「烏賊の通ひ路」というとっぴな、しかも目に見えないものを持ってきたところに、俳句でしか到達し得ない可笑しさと感じるわけですが…。

これが、例えば同じ飛行機ものでも…

 向日葵や翼下となりて鳴り響(とよ)む  誓子『激浪』

…あたりについては、襟を正して読みたいと思いますが、戦後の長い長い時期の誓子は、だらだらした句もいろいろ作っていますし、指導者の立場として発表された誓子自身の俳句鑑賞法や創作法の外の句も、ゆっくり見ていきたいです。


堀本●
その意見に賛成です。


四童●

 飛行機は烏賊の通ひ路越えて飛ぶ 誓子

…は、昭和六十三年の句ですが、同じ句集の平成三年のところには、

 海峡を飛ぶ烏賊通る路の上 誓子

…もあり、このあたり、いかにも遺句集の感がありますね。作者であれば切り捨てられる句も、編者には切り捨ててはいけないものなのでしょう。同様の例では…

 伊吹山雪の胸元開け拡げ      昭和六十三年
 白雪の胸襟開く伊吹山         平成四年

 富士裾野げんげを刷毛で塗りしほど 昭和六十三年
 伊吹山雪は刷毛にて塗りし程      平成二年

…などがあります。

ちなみにwikipediaで「山口誓子」を検索すると、〔1953年に兵庫県西宮市苦楽園へ転居。1957年より朝日俳壇の選者を務め、新幹線で東京の朝日新聞社に赴き、選を行った。その時、新幹線の車窓から詠んだ俳句が「窓際俳句」と呼ばれる〕というくだりがあります。まさに「窓際俳句」を実感します。伊吹山の胸元/胸襟というのは車窓から見たそのままなのでしょう。


「狭軌」への固執というのもあります。狭軌とは鉄道のレールの幅で、新幹線以外のJRや多くの私鉄が採用している1067mm幅。新幹線や阪急電車は標軌の1435mm幅。西宮在住だったことによるものなのか。

 狭軌道両側に咲く曼珠沙華   平成元年
 単線の狭軌青田に狭められ   平成二年
 枯野行く狭軌まことに狭くして 平成五年

上五を失念しましたが「…虚子の季寄せに虚子忌なし」というどなたかの句がありました。同じような話ですが、俳句をやめないかぎり、生前刊行の句集に辞世句はありません。『大洋』は遺句集なので、辞世句が収録されています。

 一輪の花となりたる揚花火 誓子 平成五年

「八月の神戸港の花火を見て」という前書。年譜を見ると、〔七月~、体調を崩す〕〔「九月九日、「天狼」休刊を決め…〕とあります。おそらく辞世句とすべく詠んだ句なのでしょう。自身の俳人としての生涯を顧みての自負がひしひしと感じられます。悔いのない俳句人生だったのでしょう。


俳句にとって連作とは何か


堀本●

 口開けて冬の金魚も吾に寄る   誓子『大洋』(以下同)
 ガラス越し冬の金魚と顔合す

「冬の金魚も」って。観る方も口をあけているのかしら。


四童●
どうも堀本さんは巧妙に「種明かし」となる一句を排除して、謎めいた句を紹介する絶妙さがあるようです。

「冬の金魚」シリーズも三句並んでいて…

 電熱のストーヴ冬の金魚店  誓子
 口開けて冬の金魚も吾に寄る
 ガラス越し冬の金魚と顔合す

…なのですが、一句目を消してしまうと、当たり前のことが急にミステリアスになります。

 飛行機は烏賊の通ひ路越えて飛ぶ 誓子

…も、一句だけ見るとそうとう可笑しいのですが、句集の中では四句並んだ四句目で、他に読みようのない叙景句なのですね。

 海上の新しき村烏賊火群     誓子
 烏賊火より暗し人住む岸の燈は
 船は見えざれど烏賊火は前進す
 飛行機は烏賊の通ひ路越えて飛ぶ

暗い海を烏賊火と飛行機の翼灯だけが動いているという、並べてみればそれ以外に読みようがない写生句が「烏賊の通ひ路」という措辞を得たせいで、とっぴな読み方が可能になってしまっているようです。

というあたりから、俳句にとって連作とは何なのか、というテーマに徐々に触れて行きたい今日この頃であります(とはいえ、なにも考えてはいない)。


堀本●
山口誓子というモノマニヤックな写生主義の存在価値をやや見直したまでです。

連作だと「写生構成」の方法がみごとに実践されているんですね。一句ずつ読むときには、写生に端を発して、イメージの内側で構成されている句がおもしろいです。

四童さんみたいな読み方をしていると、普通の時間経過を普通に書くことのみが受け入れられてしまいます、当たり前の事実を書いて、なぜそれがおもしろいのか?ということが説明できなきゃあ…。

作者が、無意識に関係づけたモノを、読みのほうで句の行間の関係を解体し再構成するのが、創造的な読み方だと思います。


四童●
いや、私はけっして時系列主義者ではないし、作者がある意図に従って並べたものを、並べられたとおりに受け止めたいだけです。作者がモンタージュ的な意図で並べるなら、そのように受け止めます。


堀本●
連作は私にとっても興味があるのです、でも、誓子がずっと初期と同じ密度で、連作を書いてきたというふうには思っていません。『大洋』のこれらの句は、同時同場所で作られた当季雑詠風の並べ方ではないでしょうか。したがって、一句一句別の世界別の効果、というふうに考えました。


設計図方式と絵巻物方式


堀本●
「烏賊」の俳句も「冬の金魚」の句も、前の句を前提にして写生しているので、次第に、ノーマルな(?)リアリズムがスーパーリアリズムになってゆくようです。誓子の連作は「設計図方式」で、一句一句の独立性が強いということのようです。

水原秋桜子は「絵巻物方式」といって、何句かの中に全体の雰囲気を盛り上げるに効果的な(けれども完結感が低い)一句をまぜてもいい、というので、そこから、一句がゆるくなった、というので、またそこから無季容認の意見もでてきたので、けっきょく連作をやめていった経過があります。

誓子のほうは、じつはまだよく理解できていないのですが、連作という方法論に意識的になるほどに、一句一句がせめぎあってしまい、息苦しく全体のバランスを崩してきましたね。

この両者、新興俳句の根本的テーマを具現しようとして苦闘し、部分的には効果があったけど、連作法(多行詩風)が挫折したあとは、あまりめざましい方法論が出てきませんでしょう?

戦後、桑原武夫の「俳句第二芸術論」。短すぎて文学たり得ないという批判には、近代俳句(新興俳句)は抗しえなかった、といえましょう。社会性俳句、前衛俳句、は新興俳句が戦後状況にもういちど、というように出てきたから、いわば二番煎じということですが(唯一、一句を多行にする高柳重信の存在は気になりますが)。

戦後俳句の方法の核心、または革新とはいったいなんだったのだろう、ということは、いま私がいちばん気になっていることです。山口誓子のキャパシティに気がつけば、すでにここに、現代俳句の想像力の源泉を認められるかもしれません。


四童●
設計図方式、絵巻物方式という言い方はおもしろいですね。設計図と言われれば、いかにも部分部分がクローズアップされて一句一句がびっしり書かれている感じがしますし、絵巻物といえば、顛末が時系列に従って物語として起伏を持ちながら展開する感じがします。

私自身はどういうわけか秋桜子に向き合うことなくこれまで来てしまったので、マクロ的に、誓子=設計図方式、秋桜子=絵巻物方式と理解する素地がなく、誓子の中だってひとつひとつの連作をつぶさに見れば、それぞれが設計図方式や絵巻物方式でしょう、というスタンスです。


堀本●
設計図、絵巻物という言い方は、多分秋桜子が連作法についての二人の違いを端的に言うために名付けたはずです。秋桜子自身の文章や、神田秀夫の論文にかなり詳しく書かれています。

もちろん両氏が劃然と自分の方法で、それだけでやったと言うことは言えません。ようするに「連作」というのは、短歌にもありますが、数句をつらね一つの大きなテーマを表現するやりかたです。短詩形の宿命を超克しようとしたのでしょう。そして、それぞれが同時に連作方法に自己矛盾をきたしてきた、といえます。ただ、不完全であってもこの方法の影響は大きいです。


四童●
飲み屋の隣の席で総合誌のなんとか賞を応募したい人が先輩俳人に「五十句ただ並べたって駄目だ」とアドバイスを受けているのを聞いていたりすると、「そんなもの、昭和初年にとっくに誓子がやっているじゃん」とか思うわけです。

誓子について、あとは、題材の選び方とか、連作の中の一句一句にいちいち季語を入れるのかとか、連呼方式(「風邪のタイピスト」みたいなオスティナート=執拗な繰り返し)とか、気取った題のつけ方とか、そのあたりの「試行錯誤・やりたい放題」を味わって行きたいと思っています。

ところで、その昔なにで読んだのであったか、後藤夜半の「滝の上に水現れて落ちにけり」と後藤比奈夫の句が並んでいて、親子二代が時を隔てて同じ滝を詠んだどうのこうのという記事に感銘を受けた記憶があるのですが、肝腎の後藤比奈夫の句を失念してしまいました。

さて、誓子ですが、この人が滝を詠むとこうなるのか、という句です。

 流れ来し水向きを換へ瀧となる 誓子 平成2年

そりゃ垂直に向きを変えますが、この身も蓋もない措辞は誓子ならではのものでしょう。同じ年に「イグアスの瀑布」八句もあります。

  イグアスの瀑布

 人よりも神に見すべき大瀑布        誓子
 瀑布みな身を逆さまに落ちゐたり
 瀑布みな己れを捨身してゐたり
 落ちてゐる瀑布の底が水地獄
 瀑布見下せば吾が身も落ちて行く
 後(うしろ)より押され押されて瀑布落つ
 水玉の模様眼鏡の瀧飛沫
 雲立つと見しは瀑布の高飛沫

私は「流れ来し水向きを換へ瀧となる」のほうが好きですね。


堀本●
この瀧の句群は、最後は風景に帰りますが、だんだん擬人化され、瀧と自身が一体化されるところでしょうね。ドラマチックな構想ですね。でも、おっしゃるように「流れ来し水向きを換へ瀧となる」のほうが、水の自在な動きをいいとめていて、力がありますね。


(了)


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