「われら」の世代が見えない理由
マイクロポップ時代の俳句
〔後編〕
相子智恵
初出 :「澤」2007年7月 創刊7周年記念号「特集・二十代三十代の俳人」
承前 「われら」の世代が見えない理由〔前編〕 →読む
(3)この十年で、大きく変わったと思うこと
たいへん狭い視点で恐縮だが、若者の俳句活動において、この十年で大きな影響を与えた出来事をあげよと言われたら、私ならまっさきに「俳句甲子園の発足」と「インターネットの発展」をあげる。それが私の実感だからだ。
「詩のボクシング」に続き「俳句甲子園(当時は「俳句ボクシング」)」の第一回が行われたのは一九九八年で、次回で第十回を数える。
私は、実際に観覧したことはないのだが、あるとき(俳句をはじめてかなりの年数が経っていた頃だ)たまたまテレビで、俳句甲子園に出場する高校生のドキュメンタリー番組をやっていた。私はその高校生たちの俳句への向き合い方や、相手を理解しようとコミュニケーションする姿、俳句で真剣にゲームする姿(ゲームと書くと軽く捉えられそうだが、それは甲子園における高校球児の真剣試合と同じ意味である)を見て、自分が俳句にのめり込みはじめたころを思い出した。そしてただただ彼らがうらやましくてならなかった。そこには「いま、ここ」の生命力が溢れていた。高校生たちは、私が思う俳句の楽しさを、全身で体現していた。
俳句とインターネットというテーマについては、現在少しずつ語られてきているところであろう。
私は、インターネットが発達し、ブログやSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)で簡単に個人が発言・発表の場を持つようになって、いちばん変わったのは、舞台が身近に降りてきたことだと思う。
つまり、発表・批評の舞台がもはや、大きな箱に頼らなくてもよい、お金をかけなくてもよい、思いついたその日のうちにできるということだ。これは大きなプロデュースなしに、口コミ的に、ある日突然、スター俳人や、重要な批評が生まれる可能性を秘めている。
それから、句会の距離(スケーラビリティ)が大きく変化したことも重要である。インターネットは距離を軽々と越えていくから、世界のどこの人とも句会ができる。これは大きな「座」の転換である。
そしてこれら二つの出来事が、俳句のヒノキ舞台と言われる総合誌を中心とした、いわゆる「俳壇」というメインストリームや、結社誌の雑詠欄という制度からではなく、周縁のマイナーな立場で起こっていることは、特筆すべきことである。それこそが、「マイクロポップ的」であるからだ。ここでふたたび松井みどりの概念を引こう。
マイクロポップとは、制度的な倫理や主要なイデオロギーに頼らず、様々なところから集めた断片を統合して、独自の生き方の道筋や美学を作り出す姿勢を意味している。
それは、主要な文化に対して「マイナー」(周縁的)な位置にある人々の創造性である。主要な文化の中で機能することを強いられながら、そのための十分な道具を持たない人々は、手に入る物で間に合わせながら、彼らの物質的欠落や社会的に弱い立場を、想像力の遊びによって埋めあわせようとする。〈中略〉それは、大衆文化のメジャーなスタイルを指すのではなく、制度にたよらず自分の生き方を決めていく、普通の人の立ち位置を示している。知や価値の体系の絶えまない組み替えを現代の状況として受けとめながら、彼らは日常の出来事の要請にしたがって自らの思考や行動の様式を決めていく。それは、高等文化と大衆文化の階層にかかわらず、様々な体験から情報を得、必要に合わせて知識を採り入れ組み替えることのできる、大都市の住人やインターネットのユーザーの姿勢と同じだ。
(『マイクロポップの時代:夏への扉』より)
これを俳句の世界に置き換えてみたとき、どうしてもいまの俳壇と、その周縁への重なりを憶える。
そう考えてみると、私たちが俳句だけに起こっていると思い込んでいる事象は、時代という横串にさしてみると、案外どの分野でも同じようなことが起こっているものかもしれない。
そしてまた、俳句という一つの分野において縦軸を眺めてみたときにも、私たちは時代ごとの現実に、どうしても影響を受けてしまうことをあらためて理解する。
戦中に成人をむかえた大正後期生まれの俳人が、生死の切迫のなかから俳句の力を信じ、戦後俳句を生み出したように、ポストモダン前期で成人した俳人が、新しいことばの潮流を生んだように、やはり何らかの時代の影響が、そこにはあるものだ。そして、現代はと言えば、大きな存在の俳人は次々と逝去し、読者の不在が嘆かれ、結社という制度の魅力が薄まり、文化的なコンセンサスや思想をもたず、季語と自然が失われているという時代だ。
こんなにも大きな壁の崩壊は、抵抗の手に負えない。だったら一旦、それを受容するしかないではないか。
だってこの現実こそが、私たちに用意された生きる場所なのだ。この時代で生きるしかないのだから。そこで個人が小さなサバイバルとしての創造を、自分の好きな俳句を、ただ続けるのみである。
だから周縁の日常的な、小さな創造活動だけがどんどん増えていくのは必然であろう。そのような一人ひとりの「小さな創造」は見えにくいから、無風状態のようにも見える。絶対的な人数の少なさというのももちろんあるが、これが「われら」というような大きな括りで、今の二十代・三十代の世代が見えてこない理由ではなかろうか。
それでも渦中にいる私は、その小さな創造にも新しい芽があると思っている。もちろん、現代アートにとっての松井みどりのような、志を持ったキュレーターが、足を使って彼らを見つけてこそであるが。もしくは私たち自身が、自分自身や仲間のキュレーターとなるか、である。マイクロポップの時代の俳句作家たちにとっては、むろん後者のほうに現実味がある。
(4)見えない明日を、周縁から覗いてみる
ここまで、超近視眼的に短い時間を見てきたが、人を束ねるための「制度」だったり、「メディア」や「方法論」というものは、やはり望むと望まないとに関わらず、人間と時代に合わせながら変化していくものだと思う。そういう変化を私たちは無意識に受容する世代でもある。それでも俳句にはなお、大きな魅力がある。俳句観は人それぞれだろうが、私にとってのそれは、当世風の言葉で言うところの「セレンディピティ」と「コミュニケート」だ。
私は俳句をはじめたのと同年に、芭蕉の連句を読む授業を受講した。(しかしなぜその年、急に私の中でこんなに俳句がブームとなったのか謎である)が、このとき、俳句の元となった俳諧の連歌を学びながら実作を始めたことで、他者介在による偶然性や「挨拶性」の面白さを重層的に知ったように思う。
一回しかないこの時を他者とともに生き、共感する詩。他者が持っている自己と異なる感性との出会いや、自分を取り巻く自然との出会いを積極的に肯定する詩。それは他者や自然と自分との関係においてだけではない。一句の中での「取り合わせ」というのも、じつは季語とそれ以外のものが出会って生まれるのだという当たり前のことに思い至ったとき「そうか、俳句は出会いの文芸なんだな」と、すとんと腑に落ちた。
このとき、自分のちっぽけな個性(かっこよく言えば近代的自我)なんてものへのこだわりは、どうでもよいと思ってしまったのだ。(個性というものは、どうしてもそれを選んでしまうクセのようなもので、ことさらに宣言しなくても自然と出てきてしまうものだし、それ自体が自らの外側に反応して作られた相対的な歴史の積み重なりだと私は思っている)そんなものにガチガチに閉じこもるよりも、自分の外にあるセレンディピティ(それは人との偶然の出会いという狭い意味だけでなく、作句対象として、いまこの眼中にある、あらゆるものとの出会いであり、あるいは脳内に勝手にやってきた言葉たちとの出会いでもある)に自分を開き、それを楽しもうと思ったのだ。
こんなにも外部の介在を必要とし、自らの外の世界に向かってコミュニケートする必要のある詩はめずらしい。そしてそれこそが、私には面白い。それはもしかしたら(ちょっと大きく出るけれど)二十一世紀という、人が協力・共存して生きていかざるをえない危機的な時代にあって、見直すに値する価値ではないだろうか。
これからの「小さな創造」を起こすマイクロポップな人々は、その小さな創造をしていく中で、結社という制度や、総合誌というメディアを軽々と飛び越えて、一人ひとりが、人間本位で容易に結びつき「座」を作っていくことだろう。それは、インターネット上で、互いに知らなかった者同士が、友人の紹介でどんどんと繋がっていくSNSや、簡単に個人がアクセスして意見や感想を書き込めるブログなどと親和性の高い行為である。そうして同世代はアメーバのように「横」に軽々と繋がっていけるのだ。
ただし、このような新しいコミュニケーションシステムの外側がいくら整備されていったとしても、本質的に俳句を主役とした他者との結びつき・高め合いのスパイラルには入っていかない。
それに欠かせないのは、個人の「読みの力」ではないか。互いの俳句が発している言語を理解しなければ、あるいは、尊敬をもって理解しようとしなければ、コミュニケーションを十分に楽しむことはできない。
だから私たちは師から俳句の読み方を学び、句集で先人の句に学び、総合誌の批評から俳句の方法と俳句史を学び、季語と歳時記に触れてその本意に学ぶのだろう。「俳句を読む」という行為にこそ、磨きをかけなければならないし、それは俳句に関わる者が、俳句という存在の大きさに触れる一番の快楽でもある。
そのような俳句と自分を繋げる「縦」の繋がりは、「横」をよりよく結ぶためにも、必要不可欠である。そしていま、私自身にもっとも足りないと感じているのは、この「読み」に対する学びである。
私自身の実感と「マイクロポップの時代〜夏への扉」という展覧会への個人的な共感から、思うところを述べてきた。
元来私は俳句のコミュニケーションの部分を大事にしてきたほうなので、ずいぶんとそちらに寄った暴論となったし、批判もあることだろう。しかしながら、何か時代の一端が見えてこれば幸いである。何より自分にとって大きな視座をもらったこの機会に感謝したい。
(了)
「われら」の世代が見えない理由〔前編〕 →読む
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1 comments:
やはり、あの世代では、難しい。
ビートルズの歌
英語の教科書で知りました。
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