2008-07-06

林田紀音夫全句集拾読 025 野口裕


林田紀音夫
全句集拾読
025




野口 裕





ひとの死のその葉書なりふたつに折る
万才が坂みち牛をよけて来る
天あをぐ日のひぐらしの鳴きをはる

少年工馬を見てをり汗しつつ

つばくろはまぶしや母と離れ住み

夜も暑し何ゆえ笑ふ人の貌

夜勤者のひとりや月の踏切に

身過ぎつつ深夜のさくら西へ発つ

晩春の日は没り軍歌こだまなし

水汲むに蝙蝠疾し故弓憂し

故里に還るべくあり煖炉焚く

貨車に臥て煙草火うすし息白し

けさ口を嗽がず手套汚れたり

阿蘇見えぬ日は唖に似てふところ手


最後の句、「唖」は本文では口に亞の字となっている。

長々と書き写したのは、一二三頁上段のこれらの句は一句として第一句集に取られていないことによる。巻末の年譜に、

昭和二十年 春、最後の現役兵として入営、華北に渡り、暮に復員、郷里熊本県玉名市に帰る。
とある。

年譜の事実とぴったり一致することから、これらの句は入営から復員までを詠んだものと想像される。前回、「万才」を「まんざい」ではなく、「ばんざい」と読んで解釈したが、この句を句群でくくることによりこの解釈は補強される。「ばんざい」は、戦後のことではなく、戦中にあった入隊祝いの列をさしているのだろう。そうすると、句中の牛は「草田男の犬」よりもさらに大きな存在感を滲ませていることになる。

しかし、そのことよりも句集にまったく取られていないことが、林田紀音夫の戦争体験に対する態度として注目される。なぜ、彼は一句も取らなかったのか?

巻末解説によると、彼の残した資料は第一句集以後のものに限られ、句集以前は処分したらしい。過去を残さない徹底した意志があったことになる。これは、彼の句を読んだときに感じる何かを隠蔽しようとする、あるいは秘匿しようとする姿勢と通じるものだろう。謎は謎のまま、とりあえずこれら十四句を黙って読まねばならない。


  

階終る馬穴の水をこぼさずに
海へ出て自転車を置く木を探す
紙きれを川に棄てしは昨日なり


「誰でもできる無季俳句」というような入門書があれば、例句として最適。無季の句をしきりを試していた時期なのだろう。悪くはないが、良くもない、というところか。


  

猫が出てゆく夜は黒に他ならず

 典型を指向して見事にはまっている。


すべて風呂に忘れむとせし裸体かな

 たぶん銭湯だろう。今はなき群衆の孤独。


蝋石以て描きたる円を子ら出でず

 今には伝わらぬ子供の遊び。呪術の名残。


  

苜蓿の雨後燦々と鶏が踏む

久しぶりの雨上がりに、鶏が走り回り、雑草にも花が咲いている。作者の暗い日々もほっと一息ついた。



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