2008-07-27

林田紀音夫全句集拾読 028 野口 裕


林田紀音夫
全句集拾読
028




野口 裕





無花果の雨の雨へ舌出す焜爐の火

珍しい叙法。「雨の」で、一端リズムがせき止められ、イチジクに降る雨にソフトフォーカスがかけられる。一転、ちらっちらっと赤い火の舌が印象深く言いとめられる。句集未収録。「雨の雨へ」は冒険しすぎか。昭和二十七年「青玄」。


 

秋の暮行く牛も色減らしをり

音こもる暗さ冷まじ町工場

船錆びたり秋風あそぶ旗もなく

金減りてしぐれに開く傘黒し

昭和二十八年「青玄」発表句から。「月になまめき自殺可能のレール走る」と、「鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ」に挟まれた四句。落差にちょっと驚く。一句目、「も」の安易さ。二句目、「町工場」を形容する常套句の羅列。三句目の「も」は、許容範囲か。かろうじて四句目が興味を引く。

「鉛筆の遺書」に向かって、裾野を広げるように句が配置されている印象にはほど遠く、そこが面白い。


 

炭買ひて馬穴の錆びし底見えず

買った炭を入れたので馬穴の底が見えなくなった。今、ほとんど見ることのない図だから珍しさがある。と、同時に「…種撒きゃ鴉がほじくる」的な、ナンセンスの味わいもある。

日常生活の表面を取り繕うさまを含意として読み取ることもできよう。そう取ると、あざといと感じるかもしれない。トリビアリズムとして嫌われる理由の一端ではあるだろう。


フォークに怯えて硬き肉を喰ふ

この「怯え」は、今でもあるのだろうか?西洋料理に「怯える」という感覚。日常生活に容赦なく侵入してくる西洋文明への「怯え」でもあるだろう。今やほとんど顧みられないものではあるだろうが、「普請中」と結論づけてしまうとするりと逃げてしまう微妙な感性ではある。

トリビアリズムでなければ、とらえることのできない句。




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