2008-08-10

馬場龍吉 ゆっくり詠もうよ、と言う声

〔週俳7月の俳句を読む〕馬場龍吉
ゆっくり詠もうよ、と言う声



当たり前のことだが、俳人に注目されている「週刊俳句」は北京オリンピックほどには注目されていない。

それでも毎週、何が掲載されているのか気になるのが「週刊俳句」。あ、編集部でもないのにすっかり「週刊俳句」の宣伝をしてしまっている。

参加することに意義があるのではなくて作品を発表することに意義のある「週刊俳句」。さて七月の作品鑑賞。


箱庭や地球の夜は影なりき   丹沢亜郎

小さな景色から大きな景色への移行が素晴らしい。箱庭の影からここまで連想が及んだのだろうか。ガリバーのような作者が見えるのだが、地球も他の天体から見ているようで地球も小さく感じさせてくれる。こういう世界観をもっともっと読みたいと思うのだが。この第一句目以降はあまりにも身近なテーマを詠まれていて、なんとなく惜しい気持ちがするのはぼくだけだろうか。

  

鶏鳴のかすれてゆきぬ青あらし 中田剛

しっかりと写生の目が効いた作品。聴覚と視覚でしか表現されていないのだが、青あらしが気持ちのいい緑の匂いの風を運んできてくれる。これからどういう世界を見せてくれるのか楽しみ。

  

牡丹の開ききつたる疲れかな  白濱一羊

この疲れとは牡丹の花の疲れなのだが、それを感じとることが出来るのは白濱氏の心の目であろう。「疲れ」と負のイメージを伝えているのだが、牡丹に「大儀であった」と賞賛しているような感受性の鋭い視線がうらやましい。

  

番号順に肉体並ぶ日の盛    奥坂まや

〈五月雨や老人の列前進す〉もあるが、人間とはつくづく列が好きなんだな、と思わされた。蟻や雁の列にも思い当たるが、人間の列には少なからぬ笑いが潜む。目のつけどころがシャープ。

蟇歩む王道をゆくごときかな

好きで醜体に生まれたわけでもないだろうに。だが「王道をゆくごとき」と言われれば、それも満更でもないな、と納得させられる。白馬の王子さまではこの王道は似合わないだろうから。

  

夕風のなかなか迅し夏桔梗   千葉皓史

夏の風はどう吹いても熱風に変りはないのだが、桔梗越しの「夕風」と言われると涼しく感じるから不思議。全体にソフトとも受け取れる詠みっぷりだが、なかなかどうして骨太の作品が並ぶ。千葉氏からトーンをここまで均一にして飽きさせない度量というものを学んだ。これは机上作家には逆立ちしてもかなわないものだ。ゆっくり詠もうよ。と言う声が聞こえてくるような連作である。

  

いちまいの布となりたる南風  北川あい沙

ゴーギャンの憧れた南国の風ならきっとこういうふうに感じるんだろう。そうあって欲しい。風を「いちまいの布」とした把握は鋭い。連作の全体の印象はまだまだ薄いように思う。もっと深くなりそうな作品があるだけに残念な気もする。



丹沢亜郎 「暗い日曜日」 10句 →読む
中田 剛 「有象無象」 10句    →読む
白濱一羊 「ゴールポスト」 10句 →読む
奥坂まや 番号順  10句 →読む 千葉皓史 夏桔梗  10句 →読む
北川あい沙 柿 の 花 10句 →読む

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