2008-08-10

ふけとしこ 何じゃなんじゃと 榎本享さんのこと

〔俳句つながり雪我狂流→村田篠→茅根知子→仁平勝→細谷喨々→中西夕紀→岩淵喜代子→麻里伊→ふけとしこ→榎本享

何じゃなんじゃと 榎本享さんのこと 

ふけとしこ



もう十年が経とうか。あるパーティーの二次会で、向い合せに座りニコッと微笑んでくれた人がいた。誰かしら? それが榎本享さんだった。享と書いて「みち」と読む。女性である。

お酒が強そう……人柄は良さそう……などと思って見ていたような気がする。

親しくなったのはここ2年ばかりのことだ。

その榎本享さんが「なんぢゃ」という8名からなる同人誌を創刊された。

  春やあかつき一艘に一人立ち
  嘴を持つなり巣藁はこぶなり  

  紙風船舟のかたちに畳まるる


創刊号掲載の10句の中から。

どの句にも、しっかりと目が働いていることが明らかである。

そもそもは波多野爽波門、そう聞くだけで鍛えられただろう、叩き込まれたものがあろう…と想像できる。見ることの大事、写すことの大事等々を。愛弟子なればこその厳しさもあっただろう。それらは享俳句を貫くものとして今に至っているはず。爽波師亡きあとは、先頃終刊となった西野文代主宰の「文」を編集長として支え「先生」と呼ぶことは当の西野氏から禁じられて「文代さん」で通されたが、師事に変りはなくここでは「あるがままを、あるがままに」と、自然体の大切さを説かれてきた。

私が「いいなあ!」と記憶に留めた新しいところでは…

  年あらたまる松の屑竹の屑

…がある。年用意のために使われたであろう松や竹のその本体を言わず、敢えて屑の方へ焦点が当てられている。それはある程度の句歴を経れば身に付く一つの技と言えなくはないが、正月・松・竹の取合せでは陳腐そのものになるところを、こう仕立てて背景を広げて見せるのは、この作者なればこそ、と感銘を受けたのであった。

ここで改めて過去の句集を読ませていただいた。

  手鉤打ち込みて鱸のひれ立ちぬ (第一句集『明石』)

  先刻までたんぽぽの絮ありし萼

明石にお住まいである。漁港があり、主として魚を扱う大きな市場・魚の棚もある。1句目はそこでの取材であろうか。まさに、その瞬間を写し得た句である。手鉤の打ち込まれるのを見たのも出会いなら、それが鱸だったのも出会いである。同様に絮が飛んでしまった萼も出会い、見過ごさないところに臨場感を伴った詩が生まれることを教えられる。

  げんげ田や別れの刻に今すこし  (第二句集『鬼の子』)

  寒肥の穴掘りかけにして居らず

吟行句だろう。「泊まりがけの吟行なんて夢の夢だったわ」との述懐も聞いたが、それは主婦俳人なら誰しも思うところである。それでも吟行を頻繁に行うグループにいた人と、私のように初めて所属したのが、吟行は年1回のイベント、というところとでは大きな差がついてしまう。

この上記二句からは、地に足をつけて!ということ。さらに、景色だけではなく、そこに人を置くこと、時間なり動作なりの動きを見せてこそ、句の世界に奥行が出るのだと教わる。

  春の雪すくふや土の付いてくる (第三句集『抽斗』)

  萍に水位の上りはじめたる
  あさがほの種にまじつてゐる小石

  もういちど波に戻してやる海月

  ヨーグルト上澄みに春立ちにけり
  やどかりを数へるたびに数ちがふ

  燕くる下駄ひつかけて息子くる

  野分くる山羊のお腹に仔がうごき

  村芝居はねる綿虫ふえてくる

  煤の日の抽斗に何閊へをる

独特の視座を得、景の切取り方にセンスを見せ、ここに表現力が備わればいうことはない。享さんの俳句で好きなところは決して言葉に無理をさせないということ。どの言葉も心地悪そうに見えることがない。言葉たちが「ここ、私の場所!」と言わんばかりに落ち着いているところだ。写生も抒情もユーモアも表現するのはすべて言葉なのだから、これはとても大切なことだと思う。

最近は吟行や句会にご一緒する機会が増えたが、ひとつだけ気になることがある。

それは軽妙を超えて「面白がり過ぎ」では?という句をたまに見せられること。

「お互い様でしょ!」と返ってきそうだが、お互い様といえば、私の句歴も二十年を過ぎ、大先輩(実年齢ではなく)の享さんはもう四十年を過ぎているだろう。一番心せねばならないのは自己模倣かも知れない。はい、お互いに……。

ともあれ、その大先輩の面倒見のいいことにかまけて、甘えっぱなしの昨今の私である。
ご本人は「なんぢや」第2号へ向けて忙しい頃だろう。

「なんぢや」とは? と訊けば「あれは何じゃ、これはなんじゃ」の好奇心を表すとののこと。ちなみに命名されたのは西野文代さんとのことである。

ちょうど家にあったヒトツバタゴ、通称ナンジャモンジャの苗を創刊祝い(?)にプレゼントした。大木になるが成長はゆっくりだとのこと。

享さんたちの「なんぢや」の成長もこの木の成長と共に楽しみである。
 


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