2008-09-21

定型への衝動と越境 大畑 等

定型への衝動と越境

オープン句会:土方巽の舞踏を観て
第106回現代俳句協会青年部勉強会


大畑 等


『現代俳句』2008年7月号から転載




【試み】土方巽の舞踏の映像を観て俳句を作る

当日の映像
一、『BUTOH創成譚 土方巽・舞踏の原風景』
(NHKで一九八一年に放映されたもの)
二、『疱瘡譚』
(『土方巽の舞踏』・川崎市岡本太郎美術館他編の付録CDより)

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なぜ俳句なのか?というストレートな問いに答えを用意するのは意外と難しい。俳句への信頼度を競って表明するのも虚しいだけだ。

定型の五・七調の根っこ、たぶんそれはあるのだろうが、たとえそれが論立てて明かされたとしても、実作、つまり行為としての定型に何かを加えるかと言えば、こころもとない気がする。いっそ阿部青鞋のように、「この形式自体は却って無気味に能無しで無意味なのです。ですから真空的に不滅でもあり得るのです」と語るほうが、行為としての俳句定型を言い当てているようだ。

しかし、しばし立ち止まってみる。私たちの目の前に、既に俳句定型はあったが、しかし、この定型、なぜにこうも詩形を切り詰めてきたのか? 歌謡から和歌へ、連句から発句、そして俳句へと、切り詰めることで何かが生まれ、何かを殺し、そうやって今日まで来ているのだ。

一つの定型が生まれるには、共同体のなかで厖大な時間を要した。ある個人が創造する、というようなものではない。しかし個々人の定型への衝動がなければ生まれることはない。日々の作句では、ほとんど顧みないこの衝動を改めて確かめたかったのだ。

もう一つのテーマは越境である。

現代詩に新しい定型を欲したのは飯島耕一である。彼は、詩が愛唱されない、それどころかまずもって読まれない、つまりはその存在の耐え難い希薄さに対する不安と不快を表明したのである。読者への通路、詩の外の世界への「交通」の通路、運河として、新しい「定型」を飯島は欲したのである。同じ母国語をつかっていながら、異邦人であることにいらだったのだ。

この事情は定型がなぜつくられたかを飯島個人が辿るようなものである。羊水のなかの胎児(個体)が進化の全生命史(魚類→両生類→爬虫類→ほ乳類)を繰り返すような試行であって、すこぶる興味深く思ったものである。  

一方定型がすでに成立し、それを行為している状態を定型後と呼ぶと、まさにこの運河、通路こそ越境のはじまりということである。

定型には二つの力学が存在する。内へ向かう力―「衝動」と外へ向かう力―「越境」と。定型の羊水期というものを仮に想定したとして、この二つの力「衝動」と「越境」はその境はなく渾然一体として定型を目指したのではなかろうか。このことを実作を通じて、感覚として捉えようと思ったのがこの企画のはじまりであった。そのためには、俳句から遠く離れたジャンルとの出会いが適切と思い、土方巽の舞踏の映像を選んだ。

ここで土方巽について少し。

  ねじ花の腐れ間長き女体かな  永田耕衣

吉岡実の『土方巽頌』からの孫引きだが、この句について耕衣は次のように書いている。

「舞漢、土方巽は《間腐れ》という怪語を発明した。そのエンに、耕衣一句《ねじ花の腐れ間長き女体かな》が役だったとはいえ、土方巽独自の舞漢的造語の傑作だ。《芸事には欠かせない『間』を腐らせるなんて言葉は大変な問題に発展するわけですよ。》と名言している。舞漢コノ巨大なる好漢の至言というべきである。南無。」

土方は吉岡の居間に掲げてあった耕衣の「白桃図」にいたく感動し、これを欲しがったそうである。土方はのちに弟子の芦川羊子をメインとして「白桃房」という舞踏グループを振付・演出しているが、この絵の桃三個はまさに踊っている。「白桃房」において房は乳房であり、「白桃房」の舞踏ではエロスが発現されたということである。

また、土方の舞踏用語「衰弱体」は耕衣の「衰退のエネルギー」から得たものであるが、私は、この「衰弱体」には途方もなく可能性を感じるのだ。日本人の基層を縄文・弥生に腑分けし、そこに安住してしまった安易さを土方の「衰弱体」は乗り越えていく。当日の二つの映像はそのことを如実に語っていた。あれこれと書きたいことがいっぱいあるが、紙数も尽きようとしている。土方は言葉のひと、詩人でもある。最後に当日配った土方語録の一部を掲げて終わりとしたい。


一個の肉体の中で、人間は生まれた瞬間からはぐれているんですね。
(暗黒の舞台を踊る魔神)

物質の生涯というのは、東北にあるよ。
パッと無くなるんだからね。物が、時々いなくなるんだ。自発的にね。
(東北から裸体まで)

日本人の肉体というのは独特の空間をもっていて、犯されにくいですね。たとえば、ガニマタは足の間に空間をもっている。
(暗黒の舞台を踊る魔神)

自分の肉体の中の井戸の水を一度飲んでみたらどうだろうか。自分の肉体の闇をむしって食ってみろと思うのです。
ところが、みんな外側へ外側へと自分を解消してしまうのですね。
(肉体の闇をむしる)

暗闇でものを食うとおいしいと思うんですね。いまだに寝床にまんじゅうなど引き入れては暗闇で食うんですよ。形は見えないけれども、味覚は倍加するわけです。あらゆる光線がいかがわしいと思うことがありますね。
(肉体の闇をむしる)

人間、追いつめられれば、からだだけで密談するようになる。
(『病める舞姫』)




疱瘡譚 part 1


疱瘡譚 part 2


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