〔週俳8月の俳句を読む〕茅根知子
なぜか廊下の奥にあるミシン
ゆく夏のシンクに水の伸びゆける 山口優夢
シンクの水は表面張力によって島のような形をしている。しばらく見ていると、力は均衡を失い、島の「縁」はどんどん形を変えてゆく。縁が歪み、伸び、枝になり、枝が合わさり、排水口へ流れ落ちてゆく。
どんどん形を変える水の縁に、蟻をおいたことがある。蟻は水の動きを察知して、シンクの中を行き先もわからないままただ走る。たかがシンクに流れる水が津波のように思えて、その遊びを繰り返した。夏の、ある一日。
〈ゆく夏〉のころの気だるさと寂しさを感じながらも、眼前にある水の動きが、生き生きとよく見えてくる。
夏の野にタイヤ半分生えており 小林鮎美
「タイヤって硬いんだ・・・」。それを初めて知ったのは、公園だった。車とはまったく無縁だったため、タイヤに触る機会がなかったのだ。公園のタイヤはカラフルな色が塗られ、等間隔に地中に埋められていた。半分食べたドーナツみたいに。
〈夏の野〉にタイヤがあった。ただそれだけのことを〈生えており〉と表現したことで、タイヤの形と位置が明確になってくる。下五の言葉の斡旋が成功している。
その他、〈ガレージの前は花火をするところ〉〈明け方に通り雨あり秋に入る〉の言い切りが気持ちいい。また、〈じゃがいもを潰す厨の暗さかな〉など、すべて身の回りの出来事である。言葉は、身の回りに無限に散らばっている。それを、どうやって掬い取るか。その大切さを教えてくれる作品群である。
けふすでにきのふに似たる鰯雲 山田露結
日の出と日の入りは、たぶん(今、生きている人間にとっては)永遠に繰り返される。何事もない同じような日々に多くの人は安堵し、幸せを感じるのだろう。
掲句の着目は〈似たる〉である。昨日と今日は似ている。けれど、同じではない。ともすると、安堵の幸せに呆けてしまいそうな日々だが、着実に(秒よりも細かい単位で)歳を重ね、残された時間は減ってゆく。人が、その光景に懐かしさを感じるのは、「いつかの私」が見た・見るであろう〈鰯雲〉だからだ。
親類を仏間へとほす扇風機 田口 武
〈親類〉という言葉に惹かれた。親戚でもない、親族でもない「しんるい」。あまりにもフツーの生活が、そこにある。鴨居にかけられている服、ピアノの上のフランス人形、なぜか廊下の奥にあるミシン、そして仏間(!)。これらの情景に〈扇風機〉が見事に合っていて、浮き立ってくる。
〈雑草の根性をむしつてをりぬ〉〈水中花お箸が転んでも笑ふ〉〈交際の範囲の広い黒揚羽〉〈蒸し暑しSUICAを鞄から出しぬ〉の、「根性」「お箸が転んで」「交際」「SUICA」など、言葉を、時代とややずれたところから拾っていて、面白い。
■ 西川火尖 「敗色豊か」 10句 →読む■ 山口優夢 「家」 10句 →読む■ 津久井健之 「蝉」 10句 →読む■ 中原寛也 「あなた」 10句 →読む■ 小林鮎美 「帰省」 10句 →読む■ 山田露結 「森の絵」 10句 →読む■ 関 悦史 「皮膜」 10句 →読む
■ 田口 武 「雑草」 10句 →読む
2008-09-14
茅根知子 なぜか廊下の奥にあるミシン
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