2008-10-19

林田紀音夫全句集拾読 040 野口 裕


林田紀音夫
全句集拾読
040





野口 裕



前回、

  階段の途中の脚が女を生む

を、昭和三十七年としたが、昭和三十八年の間違い。昭和三十五年に、成瀬巳喜男監督、高峰秀子主演の映画『女が階段を上る時』があるとの指摘を受けた。関連は不明ながら、興味深い。

会議の背沈める鰭失つた漁族

隣りあう机の浮遊各階に

デスクワークに取材した句は、これまでに気がつかなかった。ここで初めて登場か。昭和三十八年、「海程」発表句。

手がのびて曇天掴む粗い足場

林田紀音夫には、作業現場に取材した句が似合う。やはり、理系、というより工学系の作家だろう。昭和三十八年、「海程」発表句。


  

夜の手中に小公園の煤かくれる

水を足すコップ風雨に陥没し


バックミラーの芯の冷たさこわばる老婆

「Aの結果がBになる」式の論理構造あらわな三句を並べた。句が良いとは思えないが、林田紀音夫が理系の作家であることの端的な証拠にはなる句。彼の句にはしばしばこうした論理が透けて見える。

村の火葬場煉瓦の赤を低く積む


無季を気にしない句会なら結構点の集まりそうな句。集まる原因が情緒的な反応にあることも、作家は折り込み済みだろう。句集未収録。


  

溺れる夕ぞら電線の傷走り

電線が傷のように、赤く染まる夕空を、縦横に走っている。

ずたずたにされた夕空は、今の生活に溺れている私のようだ。という風な解釈になるだろうか。「溺れる」が、少し想像をめぐらさなければならない。

昭和三十九年「海程」発表句。




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