2008-10-05

〔週俳9月の俳句を読む〕上田信治 生理的にこれと決まった

〔週俳9月の俳句を読む〕
上田信治
生理的にこれと決まった


音速を超えることなし秋の蟬  桑原三郎
平成永し芋蔓にいもの花咲き
足音は前を歩かず盆の月

さっぱりとしている。

『現代俳句文庫33 桑原三郎句集』をぱらぱらめくって現れるこんな句も、とても、さっぱりとしている。「人体に栓はなけれど秋の水」「酒倉に近づいて来るうぐひすよ」「手の届くところの柿を笑ひけり」

「ポスターに雨」10句中、上掲3句は、いずれも否定形の発想で(「芋蔓にいもの花咲き」は「薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク」だから)、「観念的である」として斥けるむきもあるだろうが、観念も含めて、思ったことが口から出たふうなところに、何かが生じている。

言ってしまえば風情のようなものが。というか、ぽろりと出たふうな「ようにして」、風情を「発生」させている。

このさっぱりさ加減、ぽろりさ加減は、実はかなり強引な書きようであり、しかし、作者にとっては生理的にこれと決まったものなのだろう。

それにしても

雁瘡や肩をかばひてアンパイア 

こんな句は、見たことがないです。秋の蟬「音速を超えることなし」って、いうか、遅いし。


ミンミンやコンクリートコンクリート  中村十朗
家に帰ろう桃が腐っているよ

多彩というかあの手この手の10句。

「一日の片隅にある扇風機」の日常性のようなもの、「絵本から文字の逃げ出し夏休み」の童話性のようなもの、「戦あることなど忘れ薄の穂」の社会性のようなもの etc.。

その中で、「ミンミン」の句の「コンクリートコ/ンクリート」という、しゃくりあげるようなシンコペーションが耳に残った。「家に帰ろう」の句の、なにかザンネンなドラマ性も。


月白の蔓さまざまのゆくさきざき  池田澄子

月明りが、植物の蔓を「見えている」と、意識させる。

「蔓さまざま」と言うとき、意識は、見えている蔓のうちに、見えていない蔓を抱え込む。「ゆくさきざき」と言うとき、意識は、すこし先の時間を抱え込む。

在るものと、在らざるものが、一枚の絵になっているように見えるのは、月の働きというものだろう。

無いものが動くので、目の裏がくすぐったくて、困る。

よし分った君はつくつく法師である

物の名前というものは、神様が決めたようなところがあって、ほとんど、我々が生まれる前に決まってしまっていて、しかも名前の理由が分からない。

ほとんどの物の名前が決まってしまった後に、遅れてやってきたのが我々である。

「つくつく法師」というヤツは、めずらしく、名付けの理由が、分かりすぎるほどよく分かる。しかし蝉自身は、ツクツクボーシツクツクボーシと鳴き続けてやまないので、しょうがなく「君はつくつく法師である」と、認めてやることにした。

面映ゆいことであったが、この私よりさらに遅れて現れた、今年の、この蝉のことなので、しかたがない。


笹山は露に埋れてゐたりけり  武井清子

作者は、今年、第一句集『風の忘るる』(ふらんす堂)を上梓した。

「秋灯に男がひとり三味線屋」「春寒し歓楽街を生真面目に」「春宵の羊の肉と革命と」など、自分にとっては、きりっとした知的なユーモアが印象的な句集だったのだが、今回の「笹山」10句は(『風の忘るる』のもう一方の魅力でもある)静かな叙景句からなる一連だった。

「地にふれて草にしづみて秋の蝶」にはじまる10句には、呼吸の確かさというべき、抑制されたテンポがある。そのテンポにのって、秋のいろいろを見て回り、地形の変化を楽しみ、部屋に戻ってくる(「双眼鏡・硯・地球儀・獺祭忌」)。

掲句、下五の「ゐたりけり」に、全笹山の露(その重量と静止)という幻想を感じました。


アンメルツヨコヨコ銀河から微風  さいばら天気
詩が嫌ひ俳句も嫌ひ海老フライ

先ごろ、この界わいで「ポエミー」と「ハイミー」ということが話題になった。

poetic が「詩的」であるなら、ポエミーは「詩っぽい」であろうか。

書くものが「俳句っぽく」あるいは「詩っぽく」なることは、ある意味、着地失敗であり生煮えであって、そこで「詩が嫌ひ俳句も嫌ひ海老フライ」ということになるのだろう(いや、作者が「嫌い」なのは、もっと広範に「詩」や「俳句」や、それにまつわるもの、かもしれないのだけれど)。

しかし「ポエミー」「ハイミー」は、必ずしも、叱り言葉ではない。

「アンメルツ」の句、前段の商品名よりも「銀河から微風」がスキャンダラス。その破廉恥なまでの抒情性が、商品名と、ヤジロベエのように釣り合っている。

つまりここでは「ポエミー」と「ハイミー」を衝突させるという方法が発見されている。

鳥ひとつ秋の水位に降り来たる
曇天を大きな桃の実と思ふ
つばめむかしへ帰るチェ・ゲバラの忌

どうも、ここにはポエミーでもハイミーでもなく「抒情」というべきものがある。

抒情といえば、「ぼのぼの」の作者である漫画家いがらしみきおの言葉を、引かなければならない。

抒情とはなんでしょう。抒情とは夕焼けを見た時に感じるその気持ちのことです。(→「ものみな過去にありて」♯8今日の夕焼け



桑原三郎 ポスターに雨 10句   →読む
中村十朗 家に帰ろう 10句    →読む
池田澄子 よし分った 10句  →読む
武井清子 笹山 10句  →読む
さいばら天気 チェ・ゲバラ 10句  →読む

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