〔週俳9月の俳句を読む〕
上田信治
生理的にこれと決まった
音速を超えることなし秋の蟬 桑原三郎
平成永し芋蔓にいもの花咲き
足音は前を歩かず盆の月
さっぱりとしている。
『現代俳句文庫33 桑原三郎句集』をぱらぱらめくって現れるこんな句も、とても、さっぱりとしている。「人体に栓はなけれど秋の水」「酒倉に近づいて来るうぐひすよ」「手の届くところの柿を笑ひけり」
「ポスターに雨」10句中、上掲3句は、いずれも否定形の発想で(「芋蔓にいもの花咲き」は「薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク」だから)、「観念的である」として斥けるむきもあるだろうが、観念も含めて、思ったことが口から出たふうなところに、何かが生じている。
言ってしまえば風情のようなものが。というか、ぽろりと出たふうな「ようにして」、風情を「発生」させている。
このさっぱりさ加減、ぽろりさ加減は、実はかなり強引な書きようであり、しかし、作者にとっては生理的にこれと決まったものなのだろう。
それにしても
雁瘡や肩をかばひてアンパイア
こんな句は、見たことがないです。秋の蟬「音速を超えることなし」って、いうか、遅いし。
ミンミンやコンクリートコンクリート 中村十朗
家に帰ろう桃が腐っているよ
多彩というかあの手この手の10句。
「一日の片隅にある扇風機」の日常性のようなもの、「絵本から文字の逃げ出し夏休み」の童話性のようなもの、「戦あることなど忘れ薄の穂」の社会性のようなもの etc.。
その中で、「ミンミン」の句の「コンクリートコ/ンクリート」という、しゃくりあげるようなシンコペーションが耳に残った。「家に帰ろう」の句の、なにかザンネンなドラマ性も。
月白の蔓さまざまのゆくさきざき 池田澄子
月明りが、植物の蔓を「見えている」と、意識させる。
「蔓さまざま」と言うとき、意識は、見えている蔓のうちに、見えていない蔓を抱え込む。「ゆくさきざき」と言うとき、意識は、すこし先の時間を抱え込む。
在るものと、在らざるものが、一枚の絵になっているように見えるのは、月の働きというものだろう。
無いものが動くので、目の裏がくすぐったくて、困る。
よし分った君はつくつく法師である
物の名前というものは、神様が決めたようなところがあって、ほとんど、我々が生まれる前に決まってしまっていて、しかも名前の理由が分からない。
ほとんどの物の名前が決まってしまった後に、遅れてやってきたのが我々である。
「つくつく法師」というヤツは、めずらしく、名付けの理由が、分かりすぎるほどよく分かる。しかし蝉自身は、ツクツクボーシツクツクボーシと鳴き続けてやまないので、しょうがなく「君はつくつく法師である」と、認めてやることにした。
面映ゆいことであったが、この私よりさらに遅れて現れた、今年の、この蝉のことなので、しかたがない。
笹山は露に埋れてゐたりけり 武井清子
作者は、今年、第一句集『風の忘るる』(ふらんす堂)を上梓した。
「秋灯に男がひとり三味線屋」「春寒し歓楽街を生真面目に」「春宵の羊の肉と革命と」など、自分にとっては、きりっとした知的なユーモアが印象的な句集だったのだが、今回の「笹山」10句は(『風の忘るる』のもう一方の魅力でもある)静かな叙景句からなる一連だった。
「地にふれて草にしづみて秋の蝶」にはじまる10句には、呼吸の確かさというべき、抑制されたテンポがある。そのテンポにのって、秋のいろいろを見て回り、地形の変化を楽しみ、部屋に戻ってくる(「双眼鏡・硯・地球儀・獺祭忌」)。
掲句、下五の「ゐたりけり」に、全笹山の露(その重量と静止)という幻想を感じました。
アンメルツヨコヨコ銀河から微風 さいばら天気
詩が嫌ひ俳句も嫌ひ海老フライ
先ごろ、この界わいで「ポエミー」と「ハイミー」ということが話題になった。
poetic が「詩的」であるなら、ポエミーは「詩っぽい」であろうか。
書くものが「俳句っぽく」あるいは「詩っぽく」なることは、ある意味、着地失敗であり生煮えであって、そこで「詩が嫌ひ俳句も嫌ひ海老フライ」ということになるのだろう(いや、作者が「嫌い」なのは、もっと広範に「詩」や「俳句」や、それにまつわるもの、かもしれないのだけれど)。
しかし「ポエミー」「ハイミー」は、必ずしも、叱り言葉ではない。
「アンメルツ」の句、前段の商品名よりも「銀河から微風」がスキャンダラス。その破廉恥なまでの抒情性が、商品名と、ヤジロベエのように釣り合っている。
つまりここでは「ポエミー」と「ハイミー」を衝突させるという方法が発見されている。
鳥ひとつ秋の水位に降り来たる
曇天を大きな桃の実と思ふ
つばめむかしへ帰るチェ・ゲバラの忌
どうも、ここにはポエミーでもハイミーでもなく「抒情」というべきものがある。
抒情といえば、「ぼのぼの」の作者である漫画家いがらしみきおの言葉を、引かなければならない。
抒情とはなんでしょう。抒情とは夕焼けを見た時に感じるその気持ちのことです。(→「ものみな過去にありて」♯8今日の夕焼け)
■ 桑原三郎 ポスターに雨 10句 →読む
■ 中村十朗 家に帰ろう 10句 →読む
■ 池田澄子 よし分った 10句 →読む
■ 武井清子 笹山 10句 →読む
■ さいばら天気 チェ・ゲバラ 10句 →読む
●
2008-10-05
〔週俳9月の俳句を読む〕上田信治 生理的にこれと決まった
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 comments:
コメントを投稿