2008-10-05

〔週俳9月の俳句を読む〕岡田由季 逃げ出した文字の行方

〔週俳9月の俳句を読む〕岡田由季
逃げ出した文字の行方


足音は前を歩かず盆の月    桑原三郎

自分の立てている足音なのに、不意に誰かがつい来ているような気になることがある。自分が止まれば足音も止まる。子供の頃は、それが恐ろしくて何度も振り返ったりしたものだ。しかしこの句の足音にはそのような不安定さや乖離感はない。盆の月に照らされた足取りは確かであり、足音も忠実にそれに従ってきて、足音だけが前に行ってしまうというような無茶なことは起きない。歩き続けていくうちに心身がくっきりとしてきて、充実感を覚える、そんな夜だ。


絵本から文字の逃げ出し夏休み    中村十朗

小学生の頃、夏休みというと、楽しいことへの期待よりも、とにかく解放感が大きかった。大人から見たら気楽なようでも、子供は意外と窮屈な日常を送っている。いろいろなことから逃げ出すことができる夏休み。文字が逃げ出してしまっても、絵本の世界はカラフルで寂しくはならない。逃げ出した文字の方はどこへ行くのだろうか。その行方がふと気になった。


星合のPCぽろろんと灯りぬ    池田澄子

灯るという表現が優しい。

以前勤めていた職場では、昨今の多くの職場で似たような状況だと思うが、同僚の顔よりもPCの画面を見ている時間の方がずっと長かった。会社貸与のPCといえども、カスタマイズしつつ使っているうちに愛着が湧き、自分のPCらしくなってくる。休日出勤のときなど、ガランとしたオフィスで、ずらりと並んだPCのうち、自分のPCのみの電源を入れる。そんな瞬間を思い出した。

家庭でもオフィスでもこれだけPCが普及してきて、俳句の題材としても珍しいもの、新しいものではなく、ごく普通の身近にあるものとして自然に詠み込まれるようになってきているのを感じる。


双眼鏡・硯・地球儀・獺祭忌      武井清子

子規の愛用品であろうか。どれもロマンティックで知的な雰囲気の品々だ。並列してあるだけでノスタルジックな空気も漂い想像が広がる。端正な10句の中で、ポチポチと中黒でつないである点も目を引いた。


箱庭の荒廃しきり蚯蚓鳴く    さいばら天気

庭というのは人の手が入らないとあっという間に驚くほど荒れるものだ。箱庭でも事情は同じだろう。箱庭を作った経験はないが、おそらく配置を考えたり作るときが一番楽しく、あとは徐々に飽きてしまうことが多いのではないだろうか。関心を無くすという行為は、その対象物からすればいちばん残酷である。創造主に放置され忘れられた小さな世界の寂しさ・滑稽さを思う。



桑原三郎 ポスターに雨 10句   →読む 中村十朗 家に帰ろう 10句    →読む 池田澄子 よし分った 10句  →読む 武井清子 笹山 10句  →読む さいばら天気 チェ・ゲバラ 10句  →読む

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