2008-11-16

林田紀音夫全句集拾読 044 野口 裕


林田紀音夫
全句集拾読
044




野口 裕





飢餓は異邦に赤錆の釘はびこり

昭和四十六年「海程」発表句。第二句集では、吾子俳句の陰に隠れてよく分からなかったが、この時期盛んに時事に目を向けた句を提出している。ただし、関心を向けた対象を句の中で明示しているとは限らない。そのため、あまり話題にはならなかったのだろう。

この句の場合、「飢餓」はビアフラ戦争のことを指している。ついこの間まで、「飢餓」は身近にあったが異邦の出来事として伝え聞くような状況になってしまった。しかし、いまでも赤錆の釘は眼前にある。句の出来はともかく、読みとりやすい句ではある。


ダムの青濃く少年の背後痛む

昭和四十六年「海程」発表句。少年の背後にダムの青が痛々しいほどに濃くある。というような景だろうが、痛むのは少年かダムか、あるいはそれを見ている作中主体の視線なのか。「背後に痛む」ならわかりやすいが、省略によって生みだされ増幅される謎が景と相まってせつない。


 

噴水の喝采の空深まる亀裂

蒼ざめて昏れるガラス祝婚のつづき

昭和四十七年「海程」発表句。連合赤軍、あさま山荘事件の年にあたる。句とは関係がない。

発表時に、連続して置かれている。前者は一瞬の愉悦のあとの寂寥感だろうか。伊藤静夫の詩の一節、「…空中の何処で/噴き上げられる泉の水は/区別された一滴になるのか」(『私は強ひられる——』)などが思い起こされるが、思索よりは、気分的なものが優先されているだろう。「喝采」からはそういう風に読みとれる。

後者は祝祭の気分から逸脱したところから出てくる倦怠感を基調にしている。どちらも現実からの逃避の気分、今のところ何の問題もない生活がいつかはつぶれてしまう不安、つぶれてもよいとする投げやりな気分の混淆からなるだろう。


 

線香を立てに他人が横へ来る

昭和四十八年「海程」発表句。前後の句に関連はなさそう。句集には発表しにくい句だったのだろうが、いい。とても、いい。「他人」が効いている。

ひょっとして、師の

 死にたれば人来て大根焚きはじむ(下村槐太)

を気にしたか。



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