2008-11-23

林田紀音夫全句集拾読 045 野口 裕


林田紀音夫
全句集拾読
045




野口 裕






ここより、第二句集以後の時代に入る。言い換えると、生前句集にはまとめられなかった句の中に分け入る。ただし、生前発表句のページのあとに、未発表句のページがあり、そこではまた、句集の時代まで遡る。ここでは、ただ紙の流れに身を任せることにする。


水際に何の火か焚く馬匹は影

橋上に傾く傘の久しい傷み

よみがえるガラスの牢の雨の糸

昭和四十九年「海程」発表句。どの句も、第一句集『風蝕』に収録された以下の句をそれぞれ思い起こさせる。

道ばたの何する火かと訊ね得ず

黄の青の赤の雨傘誰から死ぬ

雨の糸よ買ひに行かねばアドルムなし

第一句目の照応からは、作者の対世間への失語状態の始まりと、失語の長い時間経過の果てに現れた幻影とが見て取れる。第二句目の照応には、句集にはあった死の想念が剥ぎ取られ時間の残酷さをまざまざと見つつある作者の濡れた視線(乾いた視線と書けないところが紀音夫らしい)を感じる。第三句目の照応は明らかだが、かつての病床での蟄居生活を「ガラスの牢」と言い得たところがこの句の良さだろう。一語現れるたびに変転するイメージの変化が面白い。

  

天道虫共に日なたへ出て歩く

昭和四十九年、「海程」発表句。偶然に時を同じくした二つの生。意識を持たない生は、意識を持つ生を知らぬげに、ただ明るい方へと歩み出す。意識を持つ生は、それを不思議の念に打たれて、他方の生を見つつ同じ方向へ歩き出す。おのれの生を反芻しながら。

指人形のいつも物怪(ものげ)ばかり寄る

昭和四十九年、「海程」発表句。「物怪」が珍しい。紀音夫は、妖怪変化の類をあまり登場させないタイプの作家だが、その作家にして指人形にそうしたものを感得したらしい。「ものげ」と読ませる由来は不明。


フラスコに昼の月煮え浮遊の嬰児

昭和四十九年、「海程」発表句。同年発表句に、「フラスコに煮え生誕のひそかな憂い」がある。第二句集には、「屋根を重ねてみどりごがとろとろ煮え」がある。

オパーリンの生命起源説を下敷きにしている可能性も感じるが、ぐつぐつと煮込まれるものに、生命誕生の秘密のイメージを重ねたと見る方が自然だろう。「フラスコ」を登場させる点が、昔ながらの魔女が作りだすおどろおどろしい人工生命を連想させる。かつては己の生を見つめていた目が、生一般を見つめる目として働いている。



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