2008-11-09

〔週俳10月の俳句を読む〕澤田和弥 ブーツをかぐ

〔週俳10月の俳句を読む〕
澤田和弥
ブーツをかぐ


鳥の眼のなかのカンナを切りにゆく  鳥居真里子

「剪る」ではなく「切る」。カンナを活けるために
剪るではなく無造作に切る。カンナを切る訳だが、
そのカンナは鳥の眼の中にある。必然的に
眼自体を切るという発想も生まれる。
眼を切ることからブニュエルとダリの短編映画「アンダルシアの犬」を
思い出す。私の記憶が正しければ眼を切るシーンの次は
確か蟻が大量に発生するシーンではなかっただろうか。
その蟻たちがカンナを覆い尽くすというのは
なかなかグロテスクで興味深い。
鳥とカンナというと

  鶏たちにカンナは見えぬかもしれぬ  渡辺白泉

がある。この場合、鶏に見えているか否かということなので
鶏が主体となる。しかし掲句は鳥ではなく、
カンナを切りにゆこうとしている者が主体である。
鳥は主体ではない。鳥にカンナが見えているかどうかということは
全く問題ではなく、主人公には鳥の眼の中にあるカンナが
見えている。それを切る、というのである。
訳も分からず眼を切られる、罪のない鳥。
この句からは、人間のエゴイズムがまるで
塩胡椒のように垣間見える。
ふと思う。鳥の眼のなかに本当にカンナはあったのだろうか。
カンナは理由付けにすぎず、ただ鳥の眼を「切り」たかっただけでは
ないのか。
この句は巨人である。その巨人は「切り」というたかだか2字の言葉によって
大きく操られ、展開していく。
言葉の海の壮大さをこの句は教えてくれる。


ここで若干文章の雰囲気をかえてみる。

鰯雲ナッツは放り投げて食ふ  福田若之

「ねえ、奥さん」
「なあに」
「最近の子はあれらしいわよ」
「あれってなによ」
「放り投げちゃうの」
「まあ」
「そのうえ、食べちゃうの」
「まあ」
「それも鰯雲の見える部屋で」
「おしゃれね」
「そうなのよ」
「で、何を」
「ナッツよ」
「ナッツなの」
「そう。豆じゃなくてナッツなの」
「ますますおしゃれね」
「最近の高校生はおしゃれさんね」
「本当にね」
「うちの子なんか、袋に手を突っ込んで握りしめたナッツを全部口の中に入れちゃうの」
「あの、奥さんに似て個性的な顔の恰幅のいい子ね」
「それ、誉めてるの?」
「もちろんよ」
「なら、いいわ」
「放り投げて食べるんだから」
「うん」
「一粒ずつよね、ナッツ食べるの」
「そうよね」
「そこがまた、かっこいいわね」
「そうね」
「尾崎豊とか松田優作とか、そういう食べ方しそうよね」
「確かにね」
「哀愁の青春性って感じね」
「難しいこと言うわね」
「そこに鰯雲を添えるという辺り、なかなかやるわね」
「そうね」
「将来性を感じるわ」
「そうね」
「袋に手を突っ込んで握りしめたナッツを全部口の中に入れて食べるなんてしないわよね」
「そうね」
「そういうのはデブ芸人かおたくのお子さんに任せとけばいいものね」
「ちょっと待って。それは誉めてるの」
「もちろんよ」
「なら、いいわ」


再度、文章の雰囲気を若干かえてみる。

長靴に闇がすつぽりある夜寒  福田若之

長靴である。雨用の長靴としても面白いかもしれないが、
ここはブーツととらせていただきたい。
女性もののブーツである。
この時点で何人かの男性はほくそ笑んだことだろう。
ブーツはフェティシズムの代表的なアイテムだからである。
ブーツの中を覗いてみる。においをかいだのではない。
あくまでも覗いただけである。風呂場を、ではない。
あくまでもブーツの中である。
するとそこにはいくら灯りをともしても
光の届かない部分がある。
ましてや深夜の玄関口においては
ブーツの中は真っ暗である。
だ、か、ら、女性がすでに眠りについた玄関口で
ブーツのにおいをこそこそかいでいたのではない。
そんなことは確かしていない。
ブーツの中に「すっぽり」と闇があり、
それは夜寒のことという。
「すっぽり」がいい。これが「しっぽり」だと
タブロイド紙の体験記になってしまう。
ブーツの中の闇を「すっぽり」と表現したのは
まさに的確である。
女が寝静まった頃、同棲の部屋に帰ってくる男。
友人たちと呑んでいた。
この男は私立大学2年生(長髪、コンタクトレンズ愛用者、身長172センチ、痩せ型、初体験は16歳のときに一つ上の先輩と)
としたい。
真っ暗な玄関口には恋人のブーツ。
さあ、今しかない。においをかぐのだ!
「かぐのだ!」ではない。
ブーツの底が見えない。夜の闇よりも濃い闇が
ブーツの中にひしめいている。
今日、このブーツをはいて女はどこに出掛けて、
誰と会っていただのだろうか。
掲句はまるで夜寒がブーツからドライアイスのように
もくもくと噴出して、この世界全て覆い尽くしているかの
ような印象を受ける。美しい印象である。
男が床についた頃、女は一人起きだして、
このブーツに足を通すかもしれない。
こんな夜更けに誰に会うというのだ。
そんなことはどうでもいい。とにかく眠い。
ただふと思う。
ブーツに足を通した女はそのまま闇の中に堕ちていくかもしれない。
そのとき男は助けの手をさしだすか、
それともただの傍観者でいつづけるか。
めんどくさい。明日、考えることにしよう。
ただ一つ言えるのはブーツのにおいをかぐことはない。
そんなことをするのは所詮、澤田ぐらいしかいないだろうから。


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