【俳誌を読む】
『俳句』2008年11月号を読む
五十嵐秀彦
●第54回角川俳句賞発表 p86-
今月号の最大の読み物といえば角川俳句賞の発表ということにどうしてもなりそうだ。
だから今回はそれしか書かないことにする。
今年から選考委員に池田澄子氏が入り、なんとなく面白くなりそうな予感。
受賞作よりも候補者一覧にまず目が行くのは人情というもので、毎年必ず友人、知人の名が幾人か見受けられる。
所属結社関係の仲間がいたり、たとえばこちら「週刊俳句」関係筋?の作家の名前も今年は目立った。
活躍している人が角川俳句賞をめざしてしのぎを削っているわけで、面白い展開がここから始まっても不思議ではない顔ぶれと思った。
俳句研究賞が消えてしまったので、こういうことになっているのかもしれない。
もちろん俳壇賞や俳句界賞があるわけだが、歴史の重みという点では角川だろう。
さて、それでは今年の角川俳句賞を見てみよう。
受賞者は安倍真理子氏、作品「波」50句である。
氏は「白桃」所属の人で50歳ちょっと手前、既に結社賞を受賞しており実力俳人であると思われる。
50句をひととおり読んでから、選考座談会を読んだ。
いつも思うことだけど、予選通過作品をすべて読みたくなる。
受賞作と次点作は全句掲載されるが、せめて選考座談会で俎上となった作品ぐらいは読みたい。
そして自分も選考委員になったような(偉そうな)気分で座談会を読めたらもっと面白かろう。
選考委員は、矢島渚男、池田澄子、正木ゆう子、長谷川櫂の4名。
この面子はけっこういいと思うが、意見の一致はまずなさそうでもある。
個性的な選考委員を揃えたことで、皮肉なことに消去法で受賞作が決まるという流れが一層強まりそう。
さっそく石神月彦氏の「寵児」の評で矢島氏と長谷川氏が衝突する。
矢島「<指のせて黒鍵沈む啄木忌>、実に明快な把握で、<啄木忌>はどうかと思うが、若さがある。出来ているのではないでしょうか。<花野行くメール届かぬところまで>、あり得ないことだけれど、現代に生きている若者の、作者は若者だと思うのですが、現代文化を拒否する姿勢が表されていると思う。」 長谷川「寺山修司や塚本邦雄以前にこれが出て来ればそれなりに評価するが、寺山や塚本の時代から何十年も経って出て来ても、やはり亜流ですね。」
これは寺山修司的俳句世界を古めかしいと捉える長谷川氏と、それを青春性として評価する矢島氏の対決で、それぞれの年齢を考えるとなかなか面白い。
全体を通しては、正木ゆう子氏と池田澄子氏の発言に注目すべきところが多かったようだ。
最終的には安倍真理子氏の「波」の受賞が決まったわけだが、可能性をとるのか完成度をとるのか、その折り合いをどうつけるのかという毎度おなじみの選考意見をひきずりながらの、やはり消去法による受賞かという印象。
ただ今回は最後に残った四編それぞれにかなり意見の対立があった。それは僅差というのではなく、スタイルの違いが大きかったからだろう。
高橋智子氏の「深吉野」では、
長谷川「<日だまりに女うつぶし菊根分>、菊の根を分けている。屈んでいる。かなり思い切った描写ですが、浮ついてこないところがこの人のよいところだと思います。×をつけた句があまりなかったですね。」 正木「何となく見たような、すっかり安心して読める、そこが物足りない。個の表情が出てなくて、俳句のお手本という感じがしたので外しました。」
榮猿丸氏の「とほくなる」では、
正木「こういう賞を選ぶとき、確かさで選ぶか可能性で選ぶかとよく言いますが、この人の場合はこの詠み方に似た人がいないと思ったのです。」 長谷川「とても散文的な感じがする。もうちょっと俳句であったほうがいい。」
「深吉野」と「とほくなる」の評価で、正木氏と長谷川氏が激しく対立する脇を、池田氏推薦の「波」がスーと抜きさった形になったとも言えそうだ。
ぎりぎりまで抵抗した正木ゆう子、あえて「波」を推した池田澄子、どちらも立派だった。
この手の俳句賞にはやや白けた目しか持てない私ではあるが、なんだか今年はけっこう選考経過が面白かったのである。
個人的には正木ゆう子氏の意見に共感するところが多かった。
ぜひご一読を。
春の暮港に父を知る人と 安倍真理子
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2008-11-02
『俳句』2008年11月号を読む 五十嵐秀彦
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