2008-12-07

林田紀音夫全句集拾読 047 野口 裕


林田紀音夫
全句集拾読
047





野口 裕






秒針の音の薄明海におよぶ

明るく水占いの影加わる

朝夕の鏡の道化私ごと

白昼の刻々の数珠ひそかな汗

犇々と経木のまわり雨の糸

昭和五十年、「海程」発表句。発表句群の冒頭に連続して配置されている。そのせいもあるだろうが、このあたりの句、一句ではなくまとめて取りあげたくなる。夜明けから光が増すに連れて変化してゆく外界とそれに感応してゆく内面とを綴る作業は、句にしなければすぐに忘れ去るようなものである。句にしなければ、日常の些細な感慨にすぎない。句にしたときに、些細であるためにかえって「はかない」という印象を感じる。時系列に沿っての配置は、時の移ろいをも感得してその印象を増幅させる。

余談だが、「犇めく」を「ひしめく」と読むのは知っていた。にもかかわらず「犇々」が読めなかった。牛が三掛ける二で「ぎゅうぎゅう」だろうか。などと愚にも付かないことをおもいながら、あちこち調べてようやく「ひしひし」と読むことに気付いた。句の中の朝とは縁遠い、私の朝の作業であった。


  

石階の上の石塔その苔病む

昭和五十年、「海程」発表句。ゆるやかな視線の移動が停止し、視界を近づけたときにとらえたものがそのまま自己認識につながる。神仏に関わるものを素材にしても、それが救済にいたるものではなさそうだ。


街騒に鍵し蚊の声且つ残る

まるで耳鳴りのような。


  

盃の無明に草木私語しきり

昭和五十年、「海程」発表句。成語に、「無明の酒」というのがある。我執のため真理を悟れないことを、酒にたとえた言葉のようだ。また、「草木国土悉皆成仏」というのもある。仏教用語を取り入れて、新しい方向を探ろうとしたか。もちろん、酒席でふっと我に返ったところと取った方が面白いのだが。


燦々と雲は往く拇印のかなしみ

昭和五十年、「海程」発表句。「かなしみ」とあるため、朝の景とは取りにくい。夕日に照らされて赤く染まった雲を、拇印と見立てた。ちょっと景は異なるが、

 それはもう判このようなさびしさを紙きれの上に押してもろうた 山崎方代

にも連想がおもむく。権力を持たない人間が印を押すとき、身を削られる思いがすることはしばしばある。紀音夫の場合は、病苦が去ったあとの長かった無職の時代か。




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