林田紀音夫全句集拾読 048
野口 裕
公園に憂いの樹また手足生え
朔太郎。昭和五十年、「海程」発表句。
近く鎖の音して海が横たわる
昭和五十年、「海程」発表句。海のそばで鎖の音がした。それだけ。芭蕉の「荒海や」が、頭の隅を掠めたか。
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折々の眼鏡の遠く水子覚め
時折、眼鏡を掛ける。眼鏡で遠くを見るたびに、かつての水子が呼び覚まされる。句を読解するとこのようなことになるだろうか。普段の意識にのぼらない水子の存在を句の前面に引き出す、仕掛けとして眼鏡が効いている。昭和五十一年、「海程」発表句。
耳数多生えて雨滴の巷あり
耳が雨中のキノコのように生えてくる。ひとつの耳がひとつのことを聞くとしても、聞き出したことはたくさんあるのだろう。しかし、それらはひとつに収斂しない。巷とはそういうものだろう。昭和五十一年、「海程」発表句。
二つの句とも、繰り出される語が次々と新しいイメージを伴って展開されてゆく。この辺を第二句集以後の試みとして注目しておく。
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おくれてくる死者にひとつの椅子残す
水辺に牛残されて囮の木
死者のため夕日の裾に椅子のこる
死におくれ和讃の燭に影いくつ
昭和五十一年、「海程」発表句。一句か二句を間に挟んでこのような句群が点在する。句集でも見受けられたが、紀音夫の中では決定的な一句の出現を待つというよりも、句から句への変奏を倦まず弛まず繰り返すことへの比重の方が大きい。この年代になると、あるいはそれを愉しんでいるようにも見受けられる。死に対する焦燥が消え、おだやかに外界を見つめる目で死者を迎えようとしている。
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昭和五十一年、「海程」発表句。一句か二句を間に挟んでこのような句群が点在する。句集でも見受けられたが、紀音夫の中では決定的な一句の出現を待つというよりも、句から句への変奏を倦まず弛まず繰り返すことへの比重の方が大きい。この年代になると、あるいはそれを愉しんでいるようにも見受けられる。死に対する焦燥が消え、おだやかに外界を見つめる目で死者を迎えようとしている。
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