2008-12-07

〔週俳11月の俳句を読む〕久保山敦子 きらきらとした言葉

〔週俳11月の俳句を読む〕
久保山敦子
きらきらとした言葉


昼顔や久しくわが血みてをらず   谷さやん

あぁ、ビミョーな年代なのですね(と、思わずプロフィールを見てしまいました)。さいごはいつだったっけ?と自分も頼りない記憶をたどって見ました。まだそんなに経っていないはずなのに、もう遠いことのようにも思います。

ようするに「月のもの」。鬱陶しいと思っていたことも、はや懐かしくなり、せいせいしたような、それでいてどこかさびしいような。この心境はなかなか言葉にしにくい。そして、こんなことを詠んだ俳句に出会ったのも初めてでした。同性として脱帽です。

作者はここに「昼顔」を持ってきました。よく知られた〈昼顔のほとりによべの渚あり 波郷〉やら〈ひるがほに電流かよひゐはせぬか 鷹女〉など、「昼顔」には女性のイメージがありますが、どこか哀しみをはらんでいるようにも思われます。そういえば、あの花のかたちも、子宮に似ていたかしら。


霜降る夜歯車かたく噛み合ひぬ   冨田拓也

郷土にからくり儀右衛門という発明家がいます。そのからくり人形や万年時計の歯車を思いだしました。心にとまった句だったので、なにか書こうと思っていたところ、たまたま読んでいた俳句の本に、「歯車」のことが書かれていたので、引いてみます。川崎展宏さんの「俳句初心」のなかの、「青畝先生」についての大岡信さんの話。
  
「感覚の世界と、論理の世界と、論理を超えた直感の世界と、全部が作動し合って非常に小さな感覚のものを捉えて詠むときに、突然大きな世界がぱっと出てくるというのは、歯車がいくつか連動して、とんでもないところの歯車が言葉として表に出てくるから、みんなびっくりする。だけどその間に、いくつか連動するものがあって、だんだん大きな歯車が動くようになっているんだと思う…」

もちろん、「霜」と「歯車」との結びつきだけでも十分に詩的なものを感じるのですが、拓也さんの「霜降る夜」のひとつ前の句「冴ゆる夜の回路を駈くる十七字」と合わせて読むとき、歯車が噛み合いながら紡ぎ出されるものが、きらきらとした言葉であるのだ、と独り合点したのでした。




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