〔週俳11月の俳句を読む〕
岡田由季
そういうことの得意な
秋彼岸飲食に足る箸二本 長嶺千晶
箸という道具は万能だ。食事に使うのはもちろん、調理器具としても。熱いものを掴んだり、卵を溶いたり、肉が焼けたか挿して確かめたり、そぼろを作る時4本合わせてかきまぜたり。
私は園芸にも使い古しの割りばしを活用している。本葉が出たばかりの小さな苗をそっと植え替えたり、直接手で触れたくない毛虫をつまみあげたりするのに、箸ほど適した道具を他に知らない。指先の延長のように使える箸だから、他にもいくらでも利用法はあるはずだ。
この句では箸に着目していて、「おんじき」の内容には触れられていない。多くの日本人はハンバーグでもポテトサラダでも箸で食べる方が楽だと思うだろう。しかし季語の効果か、「飲食に足る箸二本」というゆったりとした言い切りのためか、ここでは秋の季節の恵みをたっぷり取り入れた、簡素ながらも豊かな食事を思い浮かべる。
玉虫を包むハンカチになろうとは 谷さやん
先日あるタレントがテレビで「前世はエアコンのリモコンだったと占い師に言われた」ということをネタにしていた。確認できないのをいいことに勝手なことを言う占い師は感心しないし、前世・来世をさほど信じているわけではないが、前世はこう、来世はこう、と想像を巡らすのは楽しい。
この句の読みとしては、そういう生まれ変わりといったようなことではなく、ある布に着目し、それが意外にも玉虫を包むのに使われた、という現実的な意味にとることもできなくはない。しかし、作者があるとき気がついたら玉虫を包むハンカチになっていて、嬉しいような、困ったような・・そういう気持ちを共有した方が、楽しく読めると思う。
狐見て着物の裾の合はざりし 大石雄鬼
なんとも落ち着かないような気分の残る一句。狐にはすこし怖いイメージも、エロティックなイメージもあるし、描かれている人物が男性か女性かわからないが、着物の裾が合わない、着物の裾を気にしている状況というのはいかにも不安な心理を表している。はっきりと説明はつかないが、ひとの五感ではなく第六感をぞわっと撫でてゆく、そういうことの得意な作者である。
2008-12-14
〔週俳11月の俳句を読む〕岡田由季
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