〔週俳11月の俳句を読む〕
さいばら天気
この「さむざむ」感が貴重
暮れなづむ富士に肩あり枯蟷螂 中西夕紀
富士山を人体のように思ったことは、そういえば、なかった。ピントは手前の枯蟷螂に合い、富士山はぼんやりと後景に広がる。
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十七の石をならべぬ冬の暮 冨田拓也
ひとりただ17の音を並べる俳句という「行為」の、どうか邪魔をしないでいただきたい、とでもいうかのように、さむざむと在る句。この「さむざむ」感が貴重。作者が、俳句を〈する〉行為へと追いつめられていくかぎりは、読者として今後、長くこの作者の書くものに対する関心と敬意を持続していたい。
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煮崩れるじやがいも雨音はほんもの 谷さやん
じゃがいもを煮るときの音は、雨音に似ていなくもない。外では、ほんものの雨が降っている。
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海鞘食ってどぶんどぶんと老いてゆく 斉田 仁
気がついていたらずいぶん年をとっていた、というのが、事実、初老を迎えようとする私の実感。多くがそうではないか。「どぶんどぶん」とダイナミック(動的)に、かつ自覚的に、老いてゆくことができるのだろうか。もしもそれができるなら素敵だ。
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桃の種ほどの暗さの鼬かな 大石雄鬼
鼬は暗い。なぜだろう。ずっとそう思ってきたことに根拠が見出せなくて、不思議な気分。食べ終わった桃、残るのは桃の種。ああ、鼬のあの暗さは、桃の種にまつわる暗さだったのか、と、納得、できるわけがない。
どうにも納得させてくれない俳句は、素敵である。読み手の外に在り続けるから、何度でもそこまで手を伸ばしてみる愉しみがある。腑に落ちる俳句の愉しみはその場かぎり。腑に落ちない句は、明日また読んでも、楽しい。
2008-12-14
〔週俳11月の俳句を読む〕さいばら天気
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