2009-01-04

林田紀音夫全句集拾読 051 野口裕


林田紀音夫
全句集拾読
051




野口 裕







風呂敷を結ぶ水平線消して

昭和五十四年、「海程」発表句。しばらくはどう読んでよいのかとまどうような句。だが、それだけにああでもないこうでもないと楽しめる。日本家屋の奥深い位置から、ローアングルのカメラが捕らえた光景と考えても良し、「風呂敷を結ぶ」を日本の現実と切り結ぶ決意とし、「水平線消して」を理想の消失ととらえての象徴的な解釈でも良し、水平線を包み込むような巨大な風呂敷を考えても良し。難解句といえば、たいていの場合、句の指し示す方向は定まっているのだが、方向さえ定まらない茫洋感に包まれる。時折はこうした句が噴出する。


 

耳朶薄く遠い星から声を待つ

昭和五十四年、「海程」発表句。聞き取れないほどの密やかな声を聞こうとする。だが、果たせないままその姿勢は続く。「いつか星ぞら」が、句を解釈する補助線となってしまう不幸。だが、紀音夫は営々と星の句を書き続ける。


石垣のつづきに死んで樒立つ

昭和五十四年、「海程」発表句。師の下村槐太は、「死にたれば人来て大根焚きはじむ」と詠んだ。世間に対する冷ややかな観察眼が働いている。紀音夫も同じ観察眼を持って死者を取り巻く生者の景を詠む。ただし、景と観察者の距離の違いはある。時代の変化だろう。


 

指紋を月にいつよりの身のはかなさ

昭和五十四年、「海程」発表句。「指紋を月に○○て」とすると、多少は解釈しやすくはなるだろう。「見て」か、「重ねて」か、あるいは幻想的に「押して」とするかは読者の自由にゆだねられている。そこから、「いつよりの身のはかなさ」と続く接続がどうなるか?どう接続しても、とりとめないという印象は変わりない。語を重ねれば重ねるほど、句がとりとめない印象になるような書き方は、紀音夫が長年取り組んだ手法に間違いない。この年代ではそれに拍車がかかっている。



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