2009-01-11

林田紀音夫全句集拾読 052 野口裕


林田紀音夫
全句集拾読
052





野口 裕






青葱の折れた形の日が終わる

昭和五十四年、「海程」発表句。さっさと先に進もうという気分と裏腹に、これも書いておこう、あれもコメントしなければとなって、なかなか進行速度が上がらない。まあ、あせらずにいこう。

伝統的季題の、季題の趣味に則った句。ただし、葱にまつわる季題の気分は時代によって微妙に変遷している。山本健吉の『基本季語五〇〇選』から、似たような景の句を拾い出すと、

  折鶴のごとくに葱の凍てたるよ(秋を)

  ことごとく折れて真昼の葱畑(狩行)

となり、葱が折れた景は現代に限られるようだ。

「葷酒山門に入ることを許さず」というように、もともと葱は酒と並んで生臭いものの代表だった。一休の漢詩には、風邪をはやく治すために、臭いものを食えと友人に勧めるのがあったと記憶している。江戸時代の発句はそこを踏まえて、世俗の中にある禅機(詩的一瞬)というところで書いている。

  葱白く洗ひたてたるさむさ哉(芭蕉)

  葱の香や傾城町の夕あらし(蝶夢)

  葱買うて枯木の中を帰りけり(蕪村)

明治以降の句も、その気分の延長線上のようだ。

  葱の香に夕日の沈む楢ばやし(蛇笏)

  霜ふかき深谷の葱のとゞきけり(万太郎)

こうした集積の上に、葱が世俗を超えた寂しさの極致となるのは、おそらく

  夢の世に葱を作りて寂しさよ(耕衣)

だろう。葱の折れた景はそうした気分を強調する上で有効だ。もっとも、玉葱を作るときには、上部に栄養が行かないようにわざと青い葱の部分を折ってしまう。それとは違う。

昭和二十年代前半の「俳諧接心」、「金剛」の頃には彼の中に季題趣味があった。たぶん、彼自身が廃棄したといわれる、戦前の句に繋がるはずだ。「俳諧接心」にはこんな句もある。

玉葱を買ひ水おそき橋を越ゆ

葱ではなく蕗だが、こんな句もある。

蕗さげて雨のけはいの露地とほる

蕗洗ふ桶より水がすぐ溢る

「俳諧接心」、「金剛」を含めても、葱の句は彼の中では珍しい。昭和五十四年以後に、葱の句があるかどうか、フライングしてざっと眺めてみたが、あまりなかった(一句のみ)。彼の中では珍しい句という位置は動きそうにない。




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