2009-01-11

〔週俳12月の俳句を読む〕田島健一 鎮のしるし

〔週俳12月の俳句を読む〕
田島健一
(しずめ)のしるし


僕たちは、感情に言葉を与える。

「好き/嫌い」「嬉しい/悲しい」「重い/軽い」「良い/悪い」「きれい/きたない」。

そして、僕たちは知っている。昨日まで「好き」だったものを、今日「好き」でなくなる可能性がある、ということを。そうして感情は変化しても、「私」は「私」だということの不思議を。

「好き」ではなくなるけれども、それは「嫌い」になったわけではない。そうやって、スイッチを入れたり、切ったりするように、感情はデジタル化されていない。「好き」と「嫌い」の間にある、無数のグラデーション。さらには「好き」と「嫌い」とは異なる高さにある、別の感情。

俳句を読む、ということは、つまりは「好き、嫌い」なのだけれど、そこが俳句を読むことの到達点ではなく、むしろそこを起点として、その間にあるグラデーションに身を置くということなのではないだろうか。


ゴミを出す日の空あをし霜柱   
江渡華子

江渡華子さんの作品「雪女」より。
僕たちの日常において「ゴミを出す日」が決められている、ということ。それは、いったいどういう意味があるのだろう。気づいたときに、正しい方法で、正しいところへ捨てれば、それでよいのじゃないかと思うのだけれど、世の中はそうではない。きっと、それでは自治体の運営が成り立たない。だから、決められた手順に則って、決められた場所へ捨てる。それが「正しい」ゴミの捨て方ということになる。

だから、電車の中に転がっている空き缶を「正しく」捨てる方法に、僕たちは躊躇してしまう。拾ってゴミ箱に捨てれば良いだけなのだけれど、その空き缶が「正しくは」誰のものなのかを問うてしまう。「決められた」ゴミの捨て方は熟知しているが、「新しい」ゴミの捨て方を、僕たちは知らないからだ。「ゴミを出す日」は、そのようにして、日頃生み出される「ゴミ」を、僕たちの「既知」に還元する。

このようにして、日常は日常性として規定されている。そうして規定された日常の手続きに僕たちのイメージは激しくとらえられている。

「ゴミを出す日」という言葉のもつ日常性。「ゴミを出す日」は「ゴミを出す日」以上のものではない。朝、青空、霜柱、これらは、そのような規定された日常性のために用意された、ストックフレーズではないだろうか。

確かに「霜柱」と「ゴミを出す日の空あをし」との間にある距離と、限られた経験値としての俳句的インデックスを使って、この句を読むこともできるかも知れない。
けれども、例えば「霜柱」は、それが切り離された世界における何を背負ってゆくのだろう。その青い空から、僕たちは何を享受するのだろう。

この句には、ゴミを出す日の朝の様子がすみずみまで描かれている。けれども、僕たちが読みたいのは、その景色や気分によって隠蔽された、「外側」なのじゃないだろうか。

だから、ほんとうは、もっと「ときめき」があって、いい。冬の朝を無限にあふれてゆく、ある種の感情を。俳句のかたちにのせて。

その点、同じ作者の次の作品は面白い。

蒲団より額はみだす眠りかな

「蒲団」という平面から、「額」という平面が「はみだす」。この表記に、なんだかちょっとした違和感がある。その違和感は、大切なものだ。きっと、その違和感を鎮めるために必要なことは、書かれた句の文法を正すことではなく、僕たち読み手の脳の一部を働かせることなのだろう。

「はみだ」した「額」。その「額」を含む全体性としての「身体(あるいは顔)」は「蒲団」の内側でひしゃげている。そして、ただ「額」だけが、つるんと(?)「蒲団」の外へ「はみだす」。アイスクリームが、コーンから「はみだす」ように。なんだろう、このめでたい感じは。

一方で「蒲団」から「額」が「はみだ」している事実を逆から見れば、「額」から「蒲団」が「はみだ」している。あんな大きなものが、小さな「額」から。

逆立ちした少年が、
「地球を支えているんだぜ」
と言うみたいに。

「蒲団」と「額(を含む「私」)」との、もちつもたれつの関係…って、なんだか、馬鹿馬鹿しいのだけど、それだけに、作者が書かなければならなかったことが見えてくるようで、いとおしい。

 

桃の実に鏡の立つてゐる机  鴇田智哉

鴇田さんの句の不思議さは、その句にいるはずの「私」が、五七五を読む時間の間に、するりするりと何度も手を逃れていくような、そんな感じにある。

まず「桃の実」という重さのある季語からはじまり、「桃の実に鏡」と句の中心が鏡に移ってゆく。そして「鏡の立つてゐる」と、いつの間にか主役が鏡に移っていると思ったら、行き着くところは「机」。

次々と視線を移してゆく「私」。

振り返れば、「桃の実」も「鏡」も「机」もしかるべきイメージにそれぞれの場所を見出して、つつましくそこに、在る。

なんだろう、この感じ。たまらない。

水にゐるごとくに風邪を保ちをる

この句も、いい。「水にゐる」私と、「風邪を保ちをる」私は、同じ「私」の内にある、異なる「私」である。もちろん、誰にだって自分の中に複数の「私」を持つのだけれど、それを薄くスライスして、ふわふわと持ち歩いているようだ。

ところで、この「人参」という作品郡では、10句中6句に、気になる「に」が使われている。そのうちのいくつかは(例えば、すでに挙げた二句のように)不思議な効果を発揮しているように感じるし、けれども残りのいくつかは、何か、不安定な、もしかしたら作者の意識していない、余分なものをもたらしているようにも感じる。

やはり、鴇田さんには「いくつかの私」をふわふわと持ち歩いていてほしい。「いくつかの私」を持ち歩く「確固たる鴇田智哉という私」は、そっと姿を隠していて欲しい。

 

そんな気になる「に」と言えば、榮猿丸さんの作品「何処まで行く」もまた、「に」が多用されている。

雨月なり後部座席に人眠らせ     榮 猿丸
バイパスに入るヒメムカシヨモギの中
竹馬に乗りたる父や何処まで行く


ざっくりと大きく対象をとらえた面白さがある。
朽ち果てた一軒の家を「一塊」と表現したことで、逆にその有り様がいきいきと見えてきた。


これらの作品は、作者がはっきりと指し示す。読むべき箇所を。「後部座席」を、「バイパス」を、「竹馬」を。小心者の僕は、正直なところ、辟易してしまう。

けれども、そんな中になんだかひっそりと、榮さんの人柄のようなものが垣間見える作品がある。(榮さんにお会いしがことがないので、あくまで想像ですけど)


標本の虫喰ふ虫や冬ぬくき


この句、オーソドックスに作っているけれど、いい。殺伐とした(と、人間からは見えてしまう)虫の世界に、「喰う虫」と「喰われる虫」がいて、そのミクロな限られた時間を生きている。そのような、在り様。

けれど、そこに「標本」という、虫の世界だけでは想像もつかないような、あたらしい在り方。虫の世界から、遥かに隔たったところに掲げられた、未経験の(虫にとってね)在り様。「標本」となった「虫喰ふ虫」は、「虫喰ふ虫」王国のパイオニアなのだ。

もちろん「冬ぬくき」を感じているのは作者だろう。けれども、「標本の虫喰ふ虫」というときの作者は、むしろ「虫喰ふ虫」に成り代っている。
そうやって、他の何かに「成り代れる」ということこそ、人間に与えられた重要な能力なのではないかしらん。

俳句を作るということは、もう、それだけで何か言いたげで、そういう何か言いたげな自分(作者自身)をいかに消していったらいいのだろうか。
僕たちは自分の足跡を消しながら、新しい足跡をつけてしまう。そのような、俳句そのものが持つある種の暴力性を、どうしたら鎮められるのだろうか。

 

仁平さんの作品「合鍵」では、その多くが作者自身の「声」を書いた印象を受ける。

着膨れて色気もへつたくれもなし  
仁平 勝
引きこもりでなくてこれは冬籠
数へ日や手を抜くことも芸のうち

まるで、大きな声が世の中の有象無象を吹き飛ばすとでもいうような勢いである。
けれども大声の外側には、無限の静寂がある。大声を永遠に続けることはできない。
そうして、声は静寂に吸収され、静寂の一部となってしまうのだ。
そんな中で、ひときわ惹きつけられる句があった。


合鍵を忘れてもどる寒さかな

言うまでもなく、「合鍵」は、オリジナルのコピーだ。重要なのは「オリジナル」で、「合鍵」は二番手(あるいは、それ以降)である。
おそらく、作者は「合鍵」を「持たされている」。作者にとっては、それほど重要な鍵ではないかも知れない。けれども、誰かのために、その「合鍵」を「持たされている」。ここに、この句の要がある。「合鍵」の「合」が効いているのだ。

作者は「合鍵」を「持たされ」、「ついつい」忘れて、しぶしぶ取りにもどら「される」。

この「ついつい」、「される」感じ。これをもたらしたのは「合鍵」の「合」という一文字である。これこそが、先ほど書いた俳句がもつある種の暴力性を鎮める「取り消し記号」と言えるのではないだろうか。先だって挙げた句が「大きな声」だとすれば、この「合鍵」の句は「ぼやき」なのだ。

もちろん「寒さ」を、精神的な「寒さ」と読んでは、この句は台無しである。もっと強い、真冬の刺すような、肉体的な「寒さ」であってほしい。
だって、それが現実だから。そうやって、僕たちは生きている。
刺すような寒さの中を、誰もが日々、合鍵を取りに戻っているのだ。しぶしぶ。ぼやきながら。


 

その他、気になった句。

水に影それよりあわき四国かな  大本義幸
地下道の光一本冬の夕  生駒大祐
しわしわの鯨の耳骨冬木立  照井翠
階段のはじまつてゐる枯野かな  村田 篠
自動車を降りて焚火を作りける  上田信治
狼のふぐりに夜の来てゐたり  さいばら天気



江渡華子 雪 女 10句 ≫読む
大本義幸 月光のかけら 10句 ≫読む
仁平 勝 合 鍵 10句 ≫読む
榮 猿丸 何処まで行く 10句 ≫読む
生駒大祐 聖 10句 ≫読む
照井 翠  夜 鷹 10句 ≫ 読む
鴇田智哉  人 参 10句 ≫ 読む
村田 篠 冬の壁 7句 ≫読む
上田信治 週 末 7句 ≫読む
さいばら天気 贋 札 7句 ≫読む

 

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