〔週俳12月の俳句を読む〕
石原ユキオ
負けました
トロ握るシャリに空気を入れながら 照井 翠
一読して吹いた。
「シャリに空気」って考えてみればベタベタにベタな定番のフレーズである。美味しい寿司の条件として必ずどこかで目に(耳に)したことがある表現だ。にも関わらず、俳句としてそれを提示されるまで「シャリに空気」という言い回しが定番化していることに気づかなかった。
頭の中でかぎかっこを入れて読んでしまう。
トロ握る「シャリに空気をいれながら」
私の場合はホットケーキミックスを混ぜるときに「さっくり切るように」という言葉を反芻しながら行うのだが、この作中人物は「シャリに空気を入れながら、シャリに空気を入れながら」と念じながら、寿司を握っているのである。あるいは、「おおなんとこれがシャリに空気が入る握り方か!!」と感動しながら寿司を握るひとの手つきを見ているのかもしれない。
ここで斉藤斎藤氏の短歌をお楽しみください。
信号は赤になっても錆びていた お茶本来のほのかな甘み
内側の線まで沸騰したお湯を注いで明日をお待ちください
広告に使われる定番の惹句・家電の取扱説明書・道路標識・駅のアナウンスなど、お決まりのフレーズが詩の中に放り込まれたときに妙に面白かったりする。誰もが定番と気づかずに接しているような地味なフレーズだとより面白い。「お茶本来のほのかな甘み」なんて、よく気づいたものだと思う。この言い回しが定番化したのって、ペットボトルのお茶が売られるようになってからじゃないかしら。
斉藤斎藤氏の短歌が定番のフレーズと全く別の要素との組み合わせで成り立っているのに対し、照井氏の俳句は、定番のフレーズが定番の使われ方をしている。「トロ握る」どのように握るかというと「シャリに空気を入れながら」。当たり前すぎる程当たり前な単なる説明である。定番のシャリの上に乗せられたトロは季語として無理なく文脈になじんでる。定番のフレーズ以外の何事も言っていない、そこが可笑しい。
それにしても面白い句のどこが面白いか説明するとちっとも面白くなくなるもんですね。くやしい。ごめんなさい。
●
さて、定番のフレーズと言えば、仁平勝氏の作品。
着膨れて色気もへつたくれもなし 仁平 勝
冬座敷こんなところでご無体な
猫の手と比べられつつ煤払ひ
引きこもりでなくてこれは冬籠
いちにちを終へて蒲団のありがたし
発想として普遍的というか、おそろしくわかりやすい。綾小路きみまろ支持層に伝わりやすそう!
で、「こんなところでご無体な」というベタなフレーズが俳句に入れられることによって「シャリに空気」的な感動が私の中に生じたかというと、全然生じなかった。それは、仁平氏の句に登場する定番は、多くの人に定番として認められているであろう定番だからだ。
誰も定番であることに気づいていない定番は、定番だと見抜いた瞬間に新鮮な驚きがある。
あーあ↓↓↓と思いながら読んでいたら最後に
数へ日や手を抜くことも芸のうち
……負けました。
芸ならしょうがない。文句つけちゃいけない。笑うしかない。
大人って、ずるい。
2009-01-11
〔週俳12月の俳句を読む〕石原ユキオ 負けました
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