2009-01-11

〔週俳12月の俳句を読む〕澤田和弥 男とはなんとかわいい生き物なのであろう

〔週俳12月の俳句を読む〕
澤田和弥
男とはなんとかわいい生き物なのであろう


合鍵を忘れてもどる寒さかな  仁平 勝
隠しもつ杉本彩と夜半の冬  


渡された頃は命の次に大切な合鍵。それを忘れてしまった。
もう合鍵に新鮮味がなくなり、
二人の関係の寒さが現実世界の寒さとオーバーラップする。
しかしながら「もどる」のだから、
そこにはまだわずかばかりの救いが感じられる。

なんてことを言いながら、
ジャンバーのポケットの中には杉本彩。
これは写真ととるべきか、「南くんの恋人」のようにミニチュア化した
本物の杉本彩ととるべきか。
写真であればグラビアアイドル時代の杉本彩のハイレグがいい。
若干古びたその写真が
主人公の男の唯一の不貞とするならば、
男とはなんとかわいい生き物なのであろう。

さて問題はミニチュア杉本彩の場合である。
ミニチュア化した杉本彩と何をするかといえば、
そりゃもう、あんなことやこんなことや「えっ。まじっすか!」というような行為以外には
考えられない。
少なくとも万年思春期の私にはそうとしか考えられない。
これは羨ましい。非常に羨ましい。
地元の方言で言えば「ばかいいらぁ~」ということになる。
それも「夜半の冬」となればますます淫靡である。
なるほど。合鍵どころでなくなる理由も肯うところである。

 

冬麗や二十世紀の千の椅子  榮 猿丸

冬のうららかな午後のこと。
或るお屋敷のお庭を覗いてみると
そこには20世紀に制作された千の椅子。
それは見てはならないものであり、
少年が初めて心を奪われるということの意味を知った瞬間である。

と、書くと「またあいつは現実離れしたことを言い出す。
深読みだっつぅ~の」と言われるだろう。
おそらく作者の方が想定なさった景とは全く違うことだろう。
しかし私はどうしてもこの句から現代芸術を感じずにはいられない。
ふと、やなぎみわを思い出す。
マッキントッシュや座るとごろんごろん回る椅子などが
雑然と置かれたその光景には置いた人物とも
その椅子に座った、もしくは座る予定の人物とも違うもう一つの有機的な心を感じる。

俳句自体が古臭いのではない。
俳句が一部の現代芸術のように今を生きる鑑賞者たちを置き去りにしているのではない。
俳句は常に今を語るものであり、我々のすぐ隣にいる存在なのである。

 

芒から人立ちあがりくるゆふべ  鴇田智哉

おそろしい。なんともおそろしい景である。
或る方が仰っていた。
「死んだ人なんて全く怖くない。生きている人間の方がよっぽど怖い」
怨念だの霊の力だのと言うが、生きている間にどうしても復讐できなかったことが、
死んだ途端に霊力だかなんだかを手に入れて易々と復讐ができてしまうようならば、
多くのことに苦しみつつ今を生きている我々がバカみたいである。
源氏物語で最も恐れられている人物は六条御息所であるが、
あれは生霊である。生きているからこその力である。
夕方を少し過ぎたくらいの芒原から人がすぅ~っと立ち上がってくる。
この「人」は幽霊などとは思ってはならない。
生きている。皮膚の下に赤々とした血の流れる人間である。
だからこそこの句はこわい。
おそらく今夜は一人でトイレに行くことができないと思う。
一緒に来てくださる18~38歳までの女性を募集している。
ついでにトイレの中にまで一緒に来ていただけると幸いである。

「また澤田はバカなことを言ってやがる。全くあのブーデーは。
新年早々くだらないものを読んでしまった。全くこいつは何を考えて生きているんだ」

というご質問に対しましては

人参を並べておけば分かるなり  鴇田智哉

ということです。

 

狼のふぐりに夜の来てゐたり  さいばら天気

頭の中がいまだ中学生(中学生レベルではない)なので
「ふぐり」という単語を見るとそれだけでわくわくしてしまう。
別にふぐりが好きだとか或るお方のふぐりを狙っていますとか
そういうことではない。
これは老若問わず男性ならば一度は経験する、
国語辞典でスケベな単語を探してしまうという感覚である。
「単語の力に頼りすぎている」と私がよく言われるのは
その頃の名残なのかもしれない。
ふぐりばかり見ていても仕方ないので、
いやいや、現実に私の目の前にふぐりがあってまじまじと
舐めるように見ている訳ではない。勿論舐めている訳でもない。
それは可能な限り避けたい。いや、不可能でも避けたい。
この御句の「ふぐり」という単語にのみ捉われず、句全体を見なければ。
一匹の狼に夜がだんだんと近寄ってくる。
冬の夜。寒さが厳しい。
しかしその暗くなりゆくなか、
狼の飢えた眼がだんだんと爛々と輝き出す。
寒さが一匹の狼ゆえのダンディズムを強調する。
この一連の流れ、風景をふぐりに集約させて表現している点、
それが一つの句として屹立と自立している点、
賞賛に値すると思わずにはいられない。
これは信楽の狸(私ではない)のようなだんらりとしたふぐりではない。
固く硬く引き締まった、男の矜持である。



江渡華子 雪 女 10句 ≫読む
大本義幸 月光のかけら 10句 ≫読む
仁平 勝 合 鍵 10句 ≫読む
榮 猿丸 何処まで行く 10句 ≫読む
生駒大祐 聖 10句 ≫読む
照井 翠  夜 鷹 10句 ≫ 読む
鴇田智哉  人 参 10句 ≫ 読む
村田 篠 冬の壁 7句 ≫読む
上田信治 週 末 7句 ≫読む
さいばら天気 贋 札 7句 ≫読む 

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