2009-01-25

休日の喫茶店 中嶋憲武

休日の喫茶店


中嶋憲武


映画がはじまるまで間があったので、コーヒーを飲んで時間を潰そうと考えた。

新 宿東口。で、どこかゆっくりできる場所はと、歩き出す。休日なので、三越の裏通りのドトールとかスターバックスとかエクセルシオールとか、どこも混んでい たがエクセルシオールをちょっと覗いたとき、美味しそうなパンがあったので、レジの前に並ぶ。並んでいるうちに、コーヒーとパンの載ったトレイを持って、 二階へのこのこ上がり、混み合った店内のバネの壊れた椅子に狭苦しく座って、コーヒーを啜ってる自分を想像すると、なんだか軽い憂鬱気分に陥ってしまっ て、並ぶのを止して店を出る。

裏通りを歩いていると、いつものせかせか歩く自分だと、きっと見落としていたと思える、まったく目立たない、古い喫茶店を見つける。何の変哲もない、昔からよくあるタイプの喫茶店だ。最近このような喫茶店に、ある種の憧憬(憧憬?今まで自分は、そんな喫茶店 へなど足を踏み入れたことが無いなどとでも言いたいのか?

子供のころ、従姉や両親と一緒に入ったような喫茶店は、たしかにあまり見かけな くなっていて、そっとガムを呉れたりした、あの頃の見知らぬお姉さんやお兄さんはどこへ行ってしまったのだ。その感情を言うのなら郷愁だ)、郷愁と言い直そう、を抱いていたので、その木製のドアを押す。

壁際の卓に付く。即座にウエイトレスが水を持ってやって来る。このタイミングだ。「ホット」と、ひとこと注文。この「ホット」と言う響き、これで通じる世界が喫茶店なのだ。決して「カフェアメリカーノショート。お湯少なめ」などと、長々しく注文したりはしない。

自分がいま座っている椅子は、臙脂色の天鵞絨張りの椅子で、背もたれ部分がなかなかデコラティブだ。卓は45センチ四方くらいの小さなもので、茶と銅の色を 効果的に配した装飾が施されている。静かに流れるモダンジャズ。ディキシーランドジャズでも、ビッグバンドジャズでもいけない。モダンジャズと相場は決 まっている。店内を中央で、腰の高さほどのレンガの衝立てが仕切っている。そう、レンガだ。ぜひともレンガでなくては。

見渡すと、休日なのになぜか背広姿の商談風の紳士、気のいい極道風の人、煙草吸いながらスポーツ新聞読む老人、そうそうスポーツ新聞。日本経済新聞であってはならない。

道に面して、ほとんど壁面一杯の窓。下の方が曇りガラスになっていて、通行人が霧のなかをゆくごとく見える。

先ほどのウエイトレスが、きびきびとした動作でコーヒーを運んできて、さり気なくレシートをコーヒーカップの横に置いて、さっとカウンターの方へ引き返す。 ひとくちコーヒーを飲む。旨い。臨席の女性が、ミートソースセットを食べている。このミートソースセットって、メニューに書かれてなかったけど、この女性 は常連らしく、椅子に座るなり、「ミートソースセット」と言った。「ええっ? そんなのメニューになかったんですけど」と心のなかで軽く疑問を投げかけ る。このミートソースも美味しそうだ。

天井には、丸い大きな電球が六つ付いたシャンデリア。壁には50号の油彩画と10号の油彩画。奥の壁に、絵皿が文字盤になっている掛け時計。

化粧室の前に、透明な立方体の冷蔵庫。傍らに、観葉植物。化粧室へ立った時に、冷蔵庫を見ると、トマト、きゅうり、レタス、卵、牛乳、炭酸水、瓶のコカコー ラなどが入れられてあった。化粧室のアサガオの上の鉛管に、フェイクの蔓草が巻き付けられてあり、芳香剤の香りがほのかに。

化粧室を出 て、席へ戻るとき、壁面に「ナポリタンはじめました」と黒々と書かれてある貼り紙が目に入った。なるほど、ミートソースもこのように、壁に貼ってあったメ ニューだったのかもしれないと合点が行った。もしも再び訪れることがあったら、ミートソースを注文してみよう。

清算のとき、レジスターを叩いている、マスターらしい年配の男性に、創業してどのくらいになるのか尋ねてみたところ、「35年です」と言うので、「75年くらいからやってるんですね」と言うと、「そうです。古いだけが取り柄です」と言って笑ったので、つられて笑った。

新宿東口裏通り、「珈琲タイムス」。


参考

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