林田紀音夫全句集拾読 055
野口 裕
辣韮を瓶に封じる死に神も
昭和五十六年、「海程」発表句。「死に神」が少々無理な措辞という気もするが、辣韮の力強い香を嗅ぎながら瓶を閉じたとき、死の想念も遠ざかってくれという願望が胸の中をよぎったのだろう。
箸を割る多類の中のおくれた手
昭和五十六年、「海程」発表句。「箸を割る」となると、第一句集の「隅占めてうどんの箸を割り損ず」をどうしても思い起こす。「多類」は、想像はつくがこんな言葉があるのかどうか不明。こんな句もある。
手を出せば鏡の中の柿が減る
昭和五十六年、「海程」発表句。虚の世界を映し出す窓としての鏡。しかし、虚の世界と悟られないよう実の世界を写す。ほら、柿がひとつ減った。嫌な手を出す奴だ。急いで、こっちの柿も片づけろ。
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山鳩が翔つ金泥の日箭の中
昭和五十七年、「海程」発表句。「金泥の日箭」とは言いも言ったり。句会ならば、「の中」に難癖が付けられるだろうが、飛翔する山鳩の見事さに比ぶべくもなく呆然と眺めている作者の姿勢をも示唆して、それなりの効果はある。
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不眠の夜藻のさざめきのいつよりか
昭和五十七年、「海程」発表句。眠れない夜の床。意識は最初眠れないことにあった。いつしかそれは外界から押し寄せてくる音に耳を澄ますようになる。そのさざめきは藻のようであったか。いや、耳を澄ませたときから藻のさざめきとして聞こえていたか。意識は再び眠れない夜に戻る。
紀音夫独特の、とりとめない技法の成功作。
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移すとき揺れ病室の花瓶の水
昭和五十七年、「海程」発表句。当たり前と言えば当たり前の現象。だが、花瓶を運んでいる人の視線からは生まれ得ない句。そこに、運んでいる人への感謝の念と、若干のさびしさが交差する。
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