林田紀音夫全句集拾読 056
野口 裕
雪の樹に星出てよりのなつかしさ
雪の樹風の樹或るときは訣れの樹
暗く降る雪片誰の手も借りず
昭和五十八年、「海程」発表句。雪三句。ちょっと、甘いかなあ。
仏飯に来てそれきりの冬の蜂
昭和五十八年、「海程」発表句。穏やかな冬日和。仏間に、ふっと迷い込んできた蜂。故人の思い出が甦りそうになるが、蜂はそのまま行ってしまった。無季のように扱う季語の趣。
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糸屑をつけて幽界近くする
昭和五十八年、「海程」発表句。読んですぐには分からなかった。分からないなりに気になった。何日か置いてみた。そしてたぶん、「アリアドネーの糸」からの連想だろう、ということになった。
「アリアドネ」≫Wikipedia
アテーナイのテーセウスがクレータの迷宮を無事脱出するために、アリアドネーは糸玉を渡した。テーセウスは、迷宮の奥で、ミーノータウロスを討ち果たしたのちに、糸をたどって迷宮を脱出した、となる。
服に糸屑が付いているとき、異界がすぐそばにある感覚に襲われたのだろう。つながった糸でなく、糸屑である点が諧謔。
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水中花深く沈めてたちくらみ
昭和五十八年、「海程」発表句。彼自身の病気に由来する部分もあろうが、沈めてから色鮮やかに開く花に眩暈を生じる感覚が、外界に対する倦怠をも表現して巧み。
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兵火として蝋燭の火に重なる
雨に消え風に失われた軍手
昭和五十九年、「海程」発表句。戦争二句。回想と言うよりも、戦争を今の時点で自身にどう見えるかを問うている。前句、死者を象徴する蝋燭の火に重なるのは、兵火と化した自身か。後句、彼に取り「手袋」あるいは「手套」ではだめだということは容易に見て取れる。
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川幅の夜を行く水のひとしきり
昭和五十九年、「海程」発表句。夜の川面をいつしか集中して見つめていたが、ふと我に返って、凝視の時間を切り上げる。紀音夫にとっては普通の表現だろうが、あらためて、よくこんな風に書けるなという思いが湧く。「ひとしきり」が、句を軽く仕上げる。
草の葉木の葉或るときの形代に
昭和五十九年、「海程」発表句。身の穢れをぬぐいとり、川へ流す形代。その役割を草の葉や木の葉が請け負ってくれる。偶然に背負わされた役割だろうが、草の葉や木の葉は無心に流れる。葉に焦点を当てるためか、あえて七五五のリズムにしてあるようだ。
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