林田紀音夫全句集拾読 057
野口 裕
ぶらんこの天へ出て行く音しきり
昭和六十年、「海程」発表句。句意は、わかりやすい。わかりやすいがゆえに、どうしても既視感は伴う。だが、ぶらんこを漕ぐ主体とはならずに、外部からの観察で一句をなす点は、紀音夫ならではの着想だろう。眼は地上に据えられたまま、聴覚のみが天翔ける音を聞いている。
帆船の軋みを胸の晩節か
縄とびの暮れ切るまでの声透る
昭和六十年、「海程」発表句。昭和二十年代の経験に根ざしている二句。前句は胸を病んだ体験を、後句は道端の子供の遊びを回想している。後句は、「縄とびの寒暮傷みし馬車通る 佐藤鬼房」を踏まえているだろう。「通る→透る」などの遊びも考え合わせると、句会での挨拶句か。
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サーカスの青ぞら冬の空となる
指貫きに灯のさびしさの何時よりか
経木より薄くはかない日の終わり
いちにちの終りまた来てさくら降る
風の濃いいちにちさくら花終わり
昭和六十年、「海程」発表句。紀音夫の得意とする、とりとめのない叙法は凡作も生みやすい。二百十六頁上段十四句のうち、凡作と思えるものを拾い出してみた。一句一句を詳細に読めば見どころもあるが、どうしても感傷過多になっている点は否めない。こうした副作用は作者も自覚しているところではあっただろう。
胸の手のいつにはじまる明るい午睡
蝉の樹に夕ぐれのまた遠くより
咳出でて夜のくぼみにひらたく寝る
昭和六十年、「海程」発表句の最終三句。副作用を自覚しつつ書いて行かなければ、この三句は出てこないだろう。海にうねりを起こすように、風を吹き続けないと波は生まれない。生まれた波には谷もあり、山もある。
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