2009-02-08

〔週俳1月の俳句を読む〕村田 篠 綱引き

〔週俳1月の俳句を読む〕
村田 篠

綱引き


埋火のごとケータイが明滅す   鈴木茂雄
電源を切ればたちまち耳が冴ゆ   

携帯電話をもつようになって何年も経つけれど、いまだにあれが不思議でしょうがない。勝手にブルブルふるえたり、チカチカとまさに埋火のように明滅していたり、マナーモードだと、奇妙な生き物みたいに思えてけっこうワクワクするのだ。でも、いざ実際に電話やカメラとして使うと、一気に味気ない機械に戻ってしまう。
電源を切るとケータイは文字通り死んでしまい、それと引き替えに人は耳の存在を思い出す。ケータイと人は、シーソーのようなものだ。ときどき電源を切ってケータイのことを忘れてしまうぐらいで、ちょうどいいのかもしれない。

 

類似形相似形大枯木群   櫛部天思
熱燗や耳を離れぬ風の音

枯木群に出会うと、いつもホウとしばらく見とれてしまう。幹と枝だけの「かたち」であることに感心してしまう。シンプルな形というのは、たしかにどれも似通っているものだ。枝の辺りが煙っているように見えるのもいい。人が登場する前から地球にあったもののような、原初のものに触れたような気になる。
風の音もそうだ。熱燗のあたたかさと荒んだ風の音が、体の中で綱引きをしている。

 

遠火事や豚は逆上がりの最中
   二輪 通

二輪さんの「豚句」は面白い。臭くて太った四つ足の動物として完全に客観視されているわけでもなく、かといって、すっかり擬人化されてしまって人間と同じ、というわけでもない。もちろん、自分と同化してしまった「自己」でもない。そのどれでもない豚が、豚の姿のままいろいろなところにいる。それを、作者はただ見ているのだ。
掲句、遠火事を背景に(そっちのけで)逆上がりの「最中」というグルーヴ感がいい。人にもいろんな人がいるように、豚にもいろんな豚がいるものだな、と思えてくる。

 

熊の皮畳まれ積まれ立方体   興梠 隆

獣の皮は、皮になっても匂いやらほのぬくい温度やらが残っていて、もとが獣であったことをずっと長く主張しつづける。そのせいかどうか、薄っぺたい獣の皮を重ねて積み上げると、紙を重ねて積み上げたのとはまったく違う、うっすらと温もりをもった、ずっしりみっちりと堆い固まりのようなものになる。
「立方体」という言い方は素っ気ないのだけれど、逆にあの異様な質感を思い出させてくれる。あれは確かに立体だ。一枚一枚重ねたものなのに、解体不可能な固まりのようなものだ。

 

春の雲弓はしづかに弱りけり
   広渡敬雄

掲句を読んで、あらためて「弓」についていろいろと考えた。これは、弓矢の弓なのだろうか、それとも楽器をかき鳴らすための弓だろうか。どちらにしても、毀れるのではなく「弱る」という捉え方が、作者の弓に対する思いをうかがわせてくれる。弓のあの湾曲、弦の弾力は、物体というよりは息づくものを想起させる。きっと、作者の生活の身近に、弓があるのだろう。
「春の雲」と、遠く頭上に浮かぶものとの取り合わせであるところ、弓矢の弓ではなく、楽器の弓であると読みたい。その方が広がりを感じられるように思う。



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興梠 隆 立方体 10句 ≫読む
広渡敬雄 竜の玉 10句 ≫読む


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