2009-02-08

〔週俳1月の俳句を読む〕近 恵 春なのにちょっと寂しい 

〔週俳1月の俳句を読む〕
近 恵

春なのにちょっと寂しい


埋手影絵の鯨を祖父に持ち帰る   興梠 隆

祖父は昔捕鯨船に乗っていた。

「じいちゃん、ほら、鯨だよ」とどこぞで覚えてきた鯨の手影絵を見せたところ、「おおおおっ、これは伝説の太郎鯨!」と、もう3年も寝たきりに近い祖父がやおらがばと起き上がり、銛を構えようとするのであった…いや、「こんなのは鯨じゃねえ!わしの若いころは…」などと普段無口な祖父にしては珍しく饒舌に鯨の話を続けるのであった…いや、亡くなった祖父の仏壇の前で鯨を手影絵で見せながら「じいちゃん、ほら、鯨だよ」と語りかける作者…なんだかいくらでも続きのストーリーを妄想できそうな一句。

10句のうちこの1句だけが、どこか頼りなくウソっぽく、瞬間の景を思い浮かべにくい。手影絵も鯨も祖父の存在すらも、どこかぼんやりしていて現実感がないのだが、「持ち帰る」と作者は言い切っている。そこにだけ現実感がある。手影絵の鯨ではあまり季節を感じないが、孫の祖父に対する暖かい気持ちが伝わってきて、それはそれでよいのではないかと思った。

 

春の雲弓はしづかに弱りけり   
広渡敬雄

地味な句だが、春の雲の茫洋とした感じと、見た目にはわからないけれど使い込まれていくうちに弱ってしまった弓の取り合わせがおもしろい。おそらくこの弓はカーボンではなく竹弓なのであろう。使い始めは気難しく癖のある竹の弓であったが、次第に慣れ、馴染み、自分のものとなっていった弓が、気が付けば緩くなり、弦音も昔に比べ少し間延びしたような切れのない音になっている。道具だからいつかは使い物にならなくなるとは解っていても、愛着をもって大切に使っていたもの、自分にとって特別な道具が弱っていくのは寂しい気持ち。それを認めることすら恐いほど。
春の雲の流れてゆく様が、春の訪れを喜ばしいと思うと同時に、弱ってしまった弓に作者自身の年をとってゆく感慨が重なり、春なのにちょっと寂しい気持ちになってしまった。

 

初夢を見るパスワード忘れけり   
鈴木茂雄

初夢を見るのにもパスワードが必要だったんだ! 知らなかった。私がいつまでたっても壱富士弐鷹参茄子の初夢を見ることができなかったのはそれが原因だったのかも…。

作者は「忘れけり」と言っている。ということは、かつてはパスワードを知っていたわけだ。もし夢の中で「あっ、パスワード忘れた!これじゃ初夢が見れない!」と焦っているのだとしたら、それこそが初夢な訳だから、この句は成立しない。

初夢は見た後に思い出して初めて知るものなので、これは夢を見る為のパスワードというよりも、目がさめた時の夢を思い出す為のパスワードと考えるのが妥当なのか。それとも、蒲団に入って浅い眠りの時になにかどこかに打ち込む「初夢パスワード」のようなものがあるんだろうか。それとも、お正月に飲みすぎたお屠蘇のせいで酔っ払ってしまい、初夢のパスワードを忘れてしまった…と考えるのはあまりにそのまんまか。考えれば考えるほど納得いかない1句であるが、なぜかそういうものと思わせてもくれる不思議な1句である。


 

熱燗や耳を離れぬ風の音   
櫛部天思

あ、それは呑みすぎによる耳鳴りでは? と思ってしまっては何の味わいもないのだが、どうにも自分の感覚だとそういう俗なところにまず最初に落ち着いてしまうのが、まだまだ読み手として浅いところなんだろう。と、自分を分析してもしょうがないので句を鑑賞することにする。

耳を離れない風の音は、忘れたいに忘れることの出来ない苦い作者の思いのようにも感じる。寒い夜に熱燗なんかをいただけば、ほっと心も体も和むところなの だが、作者はちっとも和んでいない。酒でも飲んで忘れてしまいたいところが、そうも行かないような深い事情でもあるんだろう。この一瞬でも忘れたい。なの に頭から離れない。かくして熱燗二合徳利を5本も開け、ちっとも酔った気がしないのに、気が付けば本当に耳鳴りが。

…なんだ、結局呑み過ぎなんじゃん。お酒はほどほどがよろしいかと。

 

氷柱みれば豚ことごとく石を投げよ   二輪 通

二輪さんは同じ結社の先輩俳人である。私が初めて俳句を作り始めたときにはすでに「豚」シリーズは始まっており、密かにどんな人なんだろうと思っているのだが、まだ一度もお目にかかったことがない。週俳のインタビューなどを読み、その人の一面をほんのほんのほーんの少しだけ知ることが出来たという、まるで覆面レスラーのような人である。

毎度思うのだが、豚シリーズは、俳句の作りは豚を客観的に詠んでいるとはいえ、作品中の豚はまるで作者の横にぴたりと寄り添い、作者を代弁しているかのようだ。

豚の冬10句は、全体的に孤独な感じを受ける。と同時にそれでよしと開き直ったようにも感じる。外堀が埋めたてられても気付かない、いや、気にしない豚。遠火事など我関せず逆上がりをしている豚。そのなかで、掲句だけが少し違う。作者は作品中の豚に「氷柱を見たら石を投げよ」と語りかけているのだ。まるでいつもの豚に少しイライラしているかのように。それも一本二本ではなく、ことごとくだ。氷柱を見ればことごとく石を投げよ。氷柱を折るのではなく、氷柱に石を投げるのだ。危ないよー。窓ガラスとか割れたらお家の人に叱られちゃうかもしれないよ。でもここは「折る」のではだめなんだろう。「石を投げよ」に、攻撃的であると同時に、屈折も感じる。なにか豚をけしかけているようで、実は自分に向かってなにかをけしかけているような。




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櫛部天思 日日是好日 10句 ≫読む
二輪 通 豚の冬 10句
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興梠 隆 立方体 10句 ≫読む
広渡敬雄 竜の玉 10句 ≫読む


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