2009-02-08

〔週俳1月の俳句を読む〕山田露結 擬豚化

〔週俳1月の俳句を読む〕
山田露結
擬豚化


二輪通氏の「豚の冬」は全句、豚である。

以前、週刊俳句に掲載された「豚の春」(「週刊俳句」第52号-2008年4月20日-掲載 http://weekly-haiku.blogspot.com/2008/04/10_1176.html)も全句、豚だったが、今回も引き続き豚、豚、豚。とにかく、豚である。

この強烈なインパクトを持った「豚」俳句を前に「なぜ、豚なのか」ということは誰もが思うだろう。
ウラハイ= 裏「週刊俳句」の「二輪通さんに聞きました」というインタビュー記事(2008年12月4日掲載 http://hw02.blogspot.com/2008/12/blog-post_04.html)の中で、氏は「豚」について「好きでもないけど嫌いでもない」と言っている。特に「豚」に対する愛着があるわけではないようだ。
筆者ははじめ、氏が「豚」にこだわっているのではなく「豚」を詠み続けることの無意味、無内容ということにこだわっているのではないかとも思ったのだが……。


外堀が埋めたてられて豚の冬    
二輪 通
除夜の鐘屋根屋根屋根に豚の屋根に
初夢やさみしくひろふ豚の財布
豚やをら語りだす狐火のこと
遠火事や豚は逆上がりの最中

作品を読み返しているうちにあることに気がつく。それは、ほぼ全ての句に於いて「豚」を「人」と置き換えることが可能だということである。

一句目。「外堀を埋める」という成語フレーズだが「埋められて」ではなく「埋めたてられて」とすることで妙な間が生まれる。周辺を取り囲まれ、じわじわと攻めて来られるというイメージ(具体的に何に攻められているかということはこの場合さほど重要ではないだろう)を喚起させることによって冬という季節に於ける豚(人)の孤独感、焦燥感が浮き彫りになってくる。

二句目。「豚の屋根に」ではなく「人の屋根に」とすればそのままこれから新年を迎えようとしている静かな住宅街の景色となる。

三句目。拾ったのは人(他人)の財布であり、決して豚革の財布ということではないだろう。

四句目。まるで豚が主人公のアニメを見ているよう。「人」ではなく「豚」が語りだすという「ずらし」によって、「狐火」という、いわば得体の知れない光がコミカルさを伴なって、アニメの中の出来事のようにファンタジックな映像となって表れる。

五句目。「火事かしらあそこも地獄なのかしら 櫂未知子」を思う。まさに、「対岸の火事」だが、燃え上がる遠火事を背景に、それとは全く無関係に必死で逆上がりを続ける豚(人)の姿が見える。

このように鑑賞してみると、二輪氏は決して「豚」を詠んでいるのではなく、「豚」を通して「人」を詠んでるのではないかと思えてくる。それが意識的なものかどうかはさておき、「紅の豚」よろしく「擬豚化」することによって見えてくる「人」の姿がそこにあるのではないかと思ったのである。




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