2009-02-01

早大俳研のこと 澤田和弥

早大俳研のこと

澤田和弥


コンクリート剥き出しの第一学生会館。その2階。ドイツ研究会と聖書の勉強会との共有部室。そこに早稲田大学俳句研究会があった。

「十七文字」…このどうにもならない俳句の短さが好きである。
           (「第五集」福田眞知子「『十七文字』の別宅」より)

俳句研究会OBの寺山修司は光よりも速い言葉を求め続けた。光よりも速い言葉は短くなければならない。長いものは常に停滞へと向かっていく。そういう学生たちが集まっていた。幽霊部員であった私が俳句研究会のことを書くのはあまりにも不適格であろう。しかし過去の一切は比喩にすぎない。私は私なりにあの日々を思いつつ、句を鑑賞させていただきたい。また、拙文では敬称を略させていただくことをなにとぞご容赦いただきたい。


  十月の路地めぐりゆく郵便夫    津久井曉蟻螂(「第一集」)
  やや寒や下駄つっかけて飲みに行く 津久井砲眠(「第二集」)

早稲田周辺はとても路地が多い。十月の心地よい気候に郵便配達夫はその路地の家々に郵便物を届けている。この配達夫、もしかしたら路地から出られなくなっているのかもしれない。それもわざと出られないように自分からしているのではないだろうか。時代のようにめぐり続ける配達夫は穏やかな天候の中、学生時代の思い出からなかなか脱却できない一人の卒業生と言ってしまっては言いすぎであろうか。

後の句。いかにもバンカラ学生を想起させる。今の早稲田大学を私は知らない。しかし、私が入学した10年前の早稲田にはまだこのような学生が確かに存在した。そして津久井健之もそういう学生の一人であった。やや寒という季語につきすぎの感は否めないが、今ではもう存在しないであろうバンカラ早稲田の一つの墓標として、私はこの句をここに記さずにはいられないのである。

ともに現在「貂」同人の津久井健之の作である。


  歌姫のささやきこぼれ水温む  日下野由季(「第一集」)
  神の手に触れて崩るる冬の薔薇   同  (「第三集」)

歌姫というと誰を想起するだろうか。美空ひばり、山口百恵、その時代の歌姫がいた。私が属す30歳前後の世代にとってはDreams Come Trueの吉田美和や安室奈美恵、浜崎あゆみといったところか。彼女たちにとって歌声がオフィシャルであれば、そのささやきは一人の女性としてのプライベートである。それでさえこぼれれば、水を温ませるのである。凡人にははかりしれない歌姫の力。それをやわらかく、優しく表現している。日下野由季は確かにそういう方であった。輝きであった。そして今も輝き続ける。現在、「海」同人。「冬の薔薇」のような儚い美しさを、どうして忘れることができようか。


  たんぽぽや野に迷ひ出て鴎鳥 村上鞆彦(「第一集」)
  整然と椅子あり明日の卒業式  同  (「第二集」)
  割れ鏡けふ卒業の髭を剃る   同  (「第四集」)

「たんぽぽや」でたんぽぽの咲く広い野が眼前に浮かぶ。しかしそこに舞うのは一羽の鴎。言うまでもなく鴎は海鳥。景が美しければ美しいほど、際立つ違和感。これを青春の一コマと呼んでは、村上鞆彦に怒られるかもしれない。しかし彼は青春そのもののような方であった。後に記す高柳克弘とは違う、安定感のある繊細な青春がそこにはあった。

その証左として卒業の2句を挙げた。先が在校生として、後は卒業生として。「けふ」という言葉のあまりの存在感に、涙を流さずにはいられないのである。現在、「南風」同人。


  風が引く若木が弓なり青空狙う   高柳克弘(「第二集」)
  夏の夜時を刻むは小さき骨よ     同  (「第二集」)
  ひまはりの上でふくらむ雲ひとつ  高柳樹椎(「第三集」)
  ふかしいも割つてゆたかな湯気渡す 高柳克弘(「第四集」)

「第二集」の2句は高柳克弘大学一年の作である。俳句をはじめてまだ一年も経っていない。しかし現在、「鷹」編集長として活躍している彼の詩情や感性の鋭さがすでに見られる点がなかなか興味深い。「小さき骨」を私は耳骨ととった。時を刻む主体を耳骨にすることで、夏の夜に響く時計の音とそれによる耳骨のふるえが閑雅な狂気として、鑑賞者に迫りくる。時を刻む音に襲われる主人公の耳には、横に眠る美しい女の寝息も吐息も届かなかったのではないだろうか。

「樹椎」という俳号を使用しているのは、管見の限り「第三集」のみである。幻の俳号といったところか。景のはっきりした、気持ちのよい句である。しかし私にはどうしても或る一枚の絵が浮かばずにはいられない。それは萬鉄五郎「雲のある自画像」である。人生に疲れきった自画像の上に浮かぶ赤い雲ひとつ。それは萬鉄五郎を統べる全てのものやことを凝縮した、ひとつの象徴である。掲句ではその雲がさらにふくらむ。句と絵がさらに交錯する。狂わんばかりの恐怖が私に押し寄せる。素直な解釈のできぬ自分が哀しい。

「ふかしいも」の句。この詩情とあたたかさは今も彼の句に散見する。彼はやさしい。やさしいからこそ非情なふりをする。学部生時代の彼の俳句は、そのやさしさと演技としての非情をゆるやかに育てあげていった、確かなる道程であったと私は敢えて呼びたい。

まだまだ紹介したい句や会員はたくさんいるのだが、紙数の関係上、ここまでとしたい。私はよい時代に早稲田に入学し、よい時代に早稲田大学俳句研究会に籍を置かせていただいた。

深夜の地下鉄早稲田駅。もうすぐ終電が来る。酔いどれの喧騒が吹き溜まっている。しかしその中に私を知る人も、私が知る人もいない。俳句研究会の先生、諸先輩方、同期生、後輩たちは皆すでにそれぞれの地へ赴き、それぞれの活躍をしている。私だけが学生時代の思い出にしがみつき、今も早稲田を離れられない。しかしいつかは旅立たなければならない。

「集まり散じて人は変われど仰ぐは同じき理想の光」

今はそれぞれの道を行く諸先輩方、同期生、後輩たちが或る一時期、同じ光を見つめつつ自由溢れる時間を共有していた。その忘れがたい一瞬のなかで俳句は生まれた。これらの作品が、そして早稲田大学俳句研究会が、私の思い出の中だけにとどまらず、皆様の心に大音響を奏でることができれば幸いである。


*拙文は早稲田大学俳句研究会の会誌「早大俳研」に拠った。
「第一集」 「合同句集 早大俳研 第一集」 平成11年4月
「第二集」 「合同句集 早大俳研 第二集」 平成11年11月
「第三集」 「早大俳研 第三集」 平成13年3月
「第四集」 「早大俳研 第四集」 平成14年5月
「第五集」 「早大俳研 第五集」 平成15年10月

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