林田紀音夫全句集拾読 058
野口 裕
硬い唾嚥むひとしきり夕日に染まり
昭和六十一年、「海程」発表句。「固唾を呑む」という言い方があるぐらいだから、「硬い唾嚥む」と言われれば、なにか緊迫した場面なのだな、と思ってしまう。なぜそんな場面なのか説明はない。そこに追い込まれた理由は分からない。読者は過去に遭遇した似たような状況を思い起こさねばならない。人を染め上げる夕日は、外形描写であり、かつ人の意識の集中するところでもある。「ひとしきり」という時間経過は客観的には短く、主観的には長い。人は次に何を発語するのだろうか。
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蝋燭の火に吹く風の何処より
折々のむなしさ風の音途絶え
人ひとりふたり落葉の音となる
足音のいつか男のものばかり
木の葉降るまだ狛犬の空見えて
降る木の葉風は昨日の高さを吹き
昭和六十一年、「海程」発表句。無季と有季がごく自然に連鎖をなす句群。淡い感興を綴ると、おのずと日常を過ぎ去ってゆく無意識の時間が浮かび上がる。句を書きつつ、意識がゆっくりとそこに焦点を合わせる。一句をとりとめなく書く叙法の延長線上にあるか。
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水洟の遙かわずかに昏れのこる
昭和六十一年、「海程」発表句。最初は目の錯覚かと思った。
水洟や鼻の先だけ暮れ残る 芥川龍之介
との類似は明らか。語調は紀音夫が勝るだろう。しかし…。
こういう句もあるということで、記録しておく。
木の葉降るひとりふたりと剥落し
昭和六十二年、「海程」発表句。前年の句の改作。確かにこれの方が良い。「剥落」が、前年生みだし得なかった言葉。
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地球儀の青を夕べは身にまとう
昭和六十二年、「海程」発表句。以前、とある句を評したフレーズをそのまま使用すると、「えらい洒落とるやないか」。
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