2009-03-01

スズキさん 第18回 ピリピリ温泉 中嶋憲武

スズキさん
第18回 ピリピリ温泉

中嶋憲武


例によって助手席に鎮座している。

今年は記録的な暖冬とかで暖かい日が多く、榛名湖の氷が張らないか張っても薄いために、公魚釣りが中止になったとかいう、どちらかといえば悲しいニュースを聞いた。そんなそろそろ春の予感とでもいったものに誘われるかのように、スズキさんは小旅行の計画を立てているようで、どこそこの温泉はどうだとかいう話をしている。

スズキさんの娘さんが、秋田の横手へかまくらを観にいき、やはり暖冬の影響で雪が少なく、係の人がかまくらの屋根へ毎日せっせと雪を積んでいたとか話していたそうだ。雪は少なかったが、宿はよかったようで「あれよ、いま話題のかんぽの宿なんだけどね」といったので、俺もかつて九十九里のかんぽの宿に泊まったことを思い出した。海が宿のすぐ前に迫っていて、見晴らしのいい宿だった。夜には沖に烏賊釣り船の灯が見え、朝、海岸線を散歩していると、桟橋の上に体長40センチくらいの鮫が半ば乾いてくの字に横たわっていた。

日にきらきらとする死魚の鱗を思い出していると、
「温泉もよかったみたいよ。湯がすこし黒いんだって。鉱泉なのかな」
青で走り出してから、スズキさんはいった。
「ぼくは昔、池上に住んでたことがあるんすけど」と、俺がいうと、
「池上?池上線のか?」と、なにかを思い出すようにスズキさん。
「その池上に久松温泉っていう銭湯があるんすけど、そのなかのひとつの浴槽が黒い湯なんすよ」
「へえ、知らなかった」
「みんな薬湯っていって、喜んで入ってましたっけが本当にそれはもうまっ黒で、コーヒーのなかに浸かってる気分で」
「海に近いからだね。有機物質が多く含まれているんじゃない」
「そんなものですかね」
「そんなものだよ」

言問通りのいくつめかの交差点で停車しているとき、スズキさんが、
「友だちがこの間、東松山のピリピリ温泉に行ってね」と、始める。話題は温泉から離れない。
「ピリピリ温泉すか?」
「湯船にね、薬草の網がいっぱい浮いてるんだって」
薬草の網が、最初ちょっと分からなかったが、大方、薬草をブーケガルニのようにネットにひとまとめにしてあるのだろうと思った。
「もう、あちこちにプカプカ浮いててね。とってもピリピリしたらしいよ。先っちょまでピリピリっていってたから、きっと効くんだよ」
「へえ、なんて温泉なんすか」
「いや、それがねえ、なんて温泉っていってたかな。とにかくピリピリするんで、ピリピリ温泉っていってたんだけどね」
「へえ」
「先っちょまでピリピリだからねえ」
スズキさんは飽くまでも先っちょを強調する。

軽自動車は、伝法院通りの交差点を折れ、仲見世裏の路地へ入る手前の狭隘な道へ入る。スズキさんはこのとき、ダッシュボードへ「通行禁止道路通行許可証」を置いた。この許可証は今年になって、交付されたものだ。

それは、暮れも押し詰まり、世の中の人が誰も彼も右往左往、慌ただしくしていた頃だ。いつものように仲見世裏の路地を納品のために、のろのろと徐行させていたところ、自転車に乗った巡査が3人通りかかり、そのなかの一番若い巡査がスズキさんに、「ちょっと。ここは車入っちゃだめなんですよ。すぐ出てってください」と切り口上にいった。スズキさんは晴天の霹靂、寝耳に水の態で「ええっ?だっていつも通ってるんですよ、仕事で」というと、「いつも通ってるっていったって、あそこにちゃんと標識があるし、あなたが入ってくるからこういう事になっているんでしょ」と、若い巡査は回りの立ち往生しているたくさんの通行人の方へ顎をしゃくった。それは普段の賑やかな土曜日の景と、なんら変わりのない風景であったのだが、若い巡査はこの一台の不法に進入してきた車が往来の妨げとなっていると、頭から決めつけてかかって、ややヒステリックな口調で、「とにかくすぐに出てってください。でないと切符切りますよ」と、いまにも発砲しそうな勢いだった。スズキさんはその勢いに押されつつも、「いや、こっちは仕事でここを通らないと…」と言いかけたが、若い巡査がそれを遮り、「仕事も何も規則なんですから。分かりましたね」というと、2人の中年の巡査の後を追いかけるように雑踏のなか自転車を漕いでいった。

納品先はもう目と鼻の先であるのに、「仕方ない。もどるか」と呟き、おろおろと後退を始めた。

仲見世の裏道の入り口を見てみると、どうしていつも見過ごしていたものか、確かに標識が立っていた。10時から22時までは、自転車と通行人のみ通行可という、青い地のなかに、自転車と、あたかも知らないおじさんに手を引いて連れて行かれてしまうような女の子の絵が、白く抜かれてある標識である。しかもご丁寧なことに立て看板も立ててあり、そこには「この先は道路が非常に狭くなっているため通り抜けできません」と書かれてあった。

「標識ありましたね。10時から22時まで通行出来ないみたいっす」と、俺がいうと、
「えっ?標識あった?あったけっかなあ」と、スズキさんは疑うのであった。
「10時から何時だって?」といらいらとした感じでスズキさんが問うので、
「10時から10時です」と簡潔に答える。
「10時から10時じゃまったく仕事にならないじゃないね。ここ、もう10年くらい通ってるけど、こんなこと初めてだよ」
そうなのだ。スズキさんはこの路地をかれこれ10年ほど納品に通っていたのである。標識の存在にまったく気がつかずに。俺は助手席なので、標識がよく見える位置に座っていたのであるが、この標識はまったく意識のなかに入っていなかった。今日、忽然とこの標識が現れたのだ。
「いつから、立ってたんですかね」と俺が訝ると、
「いつからって、むかしからきっと立っていたんだよ。気がつかなかった。目に入ってなかったんだな」

俺はしばらく狐につままれたような心持ちがしていた。いつだったか、向こうから対向車がやってきて、こちらは一方通行を逆走してくる不埒な者と決めつけてかかって、スズキさんは腕でバッテンを作って一所懸命かざしてみせたが、きゃつらは一向に後退せず、われわれが退却を余儀なくさせられ理不尽な思いでいたのだが、いま考えてみるときゃつらが正しくて、われわれが間違っていたのかもしれぬ。

こういう状態では仕事にならぬので、スズキさんは警察へ行って許可証を申請してみるよと言い、その日のうちに申請に行き、年が明けて2週間ほどして許可証が交付されたのだ。

スズキさんは、どうだと言わんばかりに許可証をダッシュボードの上に置いて、
「あの若いおまわり、また来ないかな」とぽつりと言った。





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