2009-03-29

中村苑子遠望2 紐と桜のある風景 松下カロ

中村苑子遠望 
紐と桜のある風景

松下カロ



  梁に紐垂れてをりさくらの夜  『吟遊』

「梁」は「うつばり」。夜桜を背景に、一本の紐が垂れています。

樹木の幹は普通、「縦」に伸びていますが、梁は建物の柱間を、水平に「横切って」います。縦か横か。戸外か室内か。それとも両方でしょうか。

満開のさくら。天井を渉る梁。垂れ下がる紐。見たままのようでいて、非現実を隠し持った世界。縦横の交差、外と内へ同時に向けられた視線がそれを演出します。

『吟遊』は中村苑子の第四句集。1993年刊。

1975年上梓された第一句集『水妖詞館』から、翌76年の『花狩』、79年の『中村苑子句集』(『四季物語』をふくむ。)と、矢継ぎ早に句集を生みだしてきた苑子でしたが、その後、『吟遊』までは、14年間という歳月がながれています。

1983年、生活を共にしてきた高柳重信が逝去しました。苑子自身も病を抱えながら、高柳の業績をまとめ、出版、墓碑の建立などに奔走します。また、『俳句評論』25周年記念号をもって終刊するなど、高柳の仕事にピリオドを打つ作業が山積していました。

伴侶の死から10年。80歳を迎えた俳人の心の情景は枯れ、疲れと諦めが色濃く現われるようになります。

  墓穴を測りし杖を突きて去る  『吟遊』
  そこかしこ死者も死に倦む山ざくら
  人知れず石の一つと滅ぶ夏
  さきほどの人が夏野を濡れてゆく
  梁に紐垂れてをりさくらの夜

掲句は勿論桜の句、そして、「紐の句」でもあります。

苑子句の溢れだすような物語性。「紐」はそれを支える重要なアイテムでした。

1919年、日本の演劇黎明期のスターであった松井須磨子が自殺します。縊死でした。須磨子は、坪内逍遥に演劇を学び、『ハムレット』のオフィーリア、イプセンの『人形の家』のノラを演じました。彼女は奔放な性格で、当時嘱望されていた演出家、島村抱月と恋におちます。島村には妻子がありました。彼と立ち上げた「芸術座」で『サロメ』などの出し物が大当たりをとります。トルストイの『復活』で歌った劇中歌「カチューシャの唄」は現代もよく知られています。同時に不倫関係を責められ、世論の強い非難にもさらされました。1918年秋、大流行したスペイン風邪で抱月が死亡。32歳の須磨子はその後を追ったのです。芸術座舞台裏の梁に、深紅の細紐を掛けて。

女優の死は桜の季節にはまだ遠い1月5日のことでした。当時、中村苑子は5歳。苑子が亡くなったのは2001年1月5日、奇しくも忌日は同じです。
紐は女性俳人に愛されてきた言葉の小道具です。普段も着物を着て過ごしていた頃、女性たちは幾本も紐を身につけていました。体温が染み込んでいるもの、自分をよく知っている身近な小物。それが紐でした。

  花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ 杉田久女『久女句集』

まさに花と紐の組み合わせ。

女性が女性であることを激しく肯定し、その心理、生理を一本一本の紐として慈しんでいます。女から、生命は絢爛の紐となって零れ落ちているかのようです。

紐は時代、また個性によって表情を変えます。

  紐からむ夏よ一気に喪服脱ぐ 清水径子『鶸』1973年

夏と紐。独身生活の長かった俳人。黒衣は葬送のためか、親族が集う法事か。暑い日差しのなか、喪服で過ごした一日。ひとり住まいに戻った作者は「一気に」着衣を脱ぎます。紐は不条理に女を縛るもの、柵に結び付けるもの。同時に逃れられない自己束縛を示唆しているのかもしれません。紐は複雑さを帯びてきます。

  見比べており逝く夏と腰紐と 津沢マサ子「風の階段」1995年

                  〔『〇(ゼロ)への伝言』2004年より〕

津沢マサ子は三橋鷹女に傾倒し、『俳句評論』にも参加した、中村苑子と重なる点の多い俳人です。彼女は安易な修辞を拒みます。「現代の渇き」とでも言うような飢餓感を滲ませながら、原初的な言葉で綴られた句は、厳しくも美しさに満ちています。一本の腰紐は「見比べ」られて、オブジェのように浮かび上がります。強烈に伝わってくる夏の終わりのイメージ。苑子の紐は静かに揺れていますが、マサ子の紐は確固として動きません。どちらにも惹かれます。

男性には、紐に対する思い入れはあまりないのかもしれません。紐登場の頻度は少なくなります。

  凍蝶に最も短かき紐使ふ 攝津幸彦『鸚母集』1986年

紐が何を意味するのか。具体的ではありませんが、作家の意志は明瞭です。紐は密かに下がっているものではなく、男の手にあって、目的に向かって行使される、きわめて即物的な道具です。とすれば、「凍蝶」は、やはり女性ということになるでしょうか・・・。

自愛の象徴、自縛の象徴、また内的葛藤や潜在意識の象徴として、捉えられてきた紐。

  梁に紐垂れてをりさくらの夜

気のせいでしょうか。梁「うつばり」と「たれてをり」、どちらにも「だらり」という音が仕込まれているように思うのは・・・。読者は、梁と紐の取り合わせにドキリとし、不吉なもの、縊死のイメージに捉われます。死は、ただ暗いばかりではなく、「こちら側」のものたちを「むこう側」に誘うような、蠱惑的な雰囲気も秘めています。それは桜のせいでしょう。観桜の宵、だらりと垂れた紐を見過ごしてゆくのはまともな人々。紐を掴み、手繰り寄せる者こそが、魅入られた者、選ばれた者、と囁いているようです。晩年の苑子の死生感がうかがえます。

  梁に紐垂れてをりもみぢの夜

であったとしたら、もっと物狂いの方向に行きます。迫力があって、これも棄てがたく思いますが、作者はさくらの艶な世界を選んだということでしょうか。「季語をあとからつけることは一切しない」と述べている俳人のこと、実際にさくらの頃、何か印象に残る紐を見たのかもしれません。いずれにしても紐は「むこう側」、非日常から垂れてくるようです。

俳人は早くから死と向き合いました。父の早世、胸を病んだ十代、三十そこそこで夫をなくし、のちに出合った高柳重信も急逝します。

  死に顔を水二タ股に流れ過ぐ  『吟遊』
  追ひて来し人見失ふ芦の花
  他界にて裾をおろせば籾ひとつ
  秋蛍飼ひ殺されてまだ死ねず
  死なば蛍生きてゐしかば火の蛍

死と慣れ親しんだ末、むしろ句になまめかしささえ湛えるようになるのが、苑子のキャラクターでしょうか。

  生き飽きし桜うつうつ散り急ぐ  『吟遊』
  五六人穴掘ってゐる花の昼

松井須磨子もよく似た半生を送っています。実家と養家の間を往復した少女期。養父の死。20代ですでに2度の結婚経験がありました。孤独な女性は演劇とそこでの出会いにのめりこみます。

1958年、中村苑子は高柳重信と共に現代俳句へ漕ぎだします。自宅を発行所として『俳句評論』を創刊。以来多くの責任、雑用を負いました。しかし俳人はいつも、すこし離れた場所から、男と俳句に対峙していたようです。

  木の国の女の部屋の霜格子  『水妖詞館』
  飛び去りしものが遺せしわれならむ

ふたりは支え合う同志でしたが、言葉を奪い合うライバルでもありました。いずれ高柳を失うことも予感していたようです。高柳の方法、精神を栄養にしていた感さえあります。パートナーの死後、苑子はじっと「むこう側」に目を凝らします。紐はそこから垂れてくるのです。

『吟遊』には、他にも「紐の句」があります。

  するすると紐伸びてくる月の閨

紐は月から伸びてきます。「するする」は月光の音でもあります。セクシュアルな意図も読み取れますが、中村苑子は意味付けや言い訳をしません。最後は読み手に委ね、「するする」のあとは黙ってしまいます。紐は異次元へのケーブルのようでも、より直接的な誰かの手のようでもあります。する、する、くる、の繰り返し。女は紐に無抵抗です。

紐の他にも、

  老杉に春来て垂るる縄梯子  『四季物語』
  首縄のさがる枝より枯れはじむ
  母の禱りの杉くらがりに髪さがる  『花狩』

冬の木からも、春の枝からも・・・。俳人にとって、何かが垂れ、揺れている有様は、ことのほか好もしい景であったようです。微風にも敏感に反応し、静止しているようで、とどまらない様子。不安定な状態こそが、生きている証でしょうか。「紐の句」の縦と横、内と外のアンバランスな設定にも繋がっています。

  梁に紐垂れてをりさくらの夜

中村苑子は(初期の、そして晩年の句を除いて)日常を詠いませんでした。日常の品、紐も、平常からの乖離、または脱出を図るためのアイテムでした。紐の端を握っているのは、作者自身であるのかもしれません。操られた紐は感情を持ちます。満開の桜の中からこちらを窺っています。





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