林田紀音夫全句集拾読 065
野口 裕
夕空の訃もその頃の複葉機
平成七年、「海程」発表句。複葉機を見たことのある人でないと、この句は書けない。
余談だが、伯父から聞いた話。太平洋戦争当時の話だと思うが、伯父は現在の北朝鮮のとある工業高校に学んでいた。そこで授業を集団で抜け出したことがあるらしい。罰として、経験もないのにグライダーに乗せられた。飛んでいるのはなんとかできたらしいが、困ったのが着陸場所。どこか着陸できる場所がないかと探していると、見つけたのが川の真ん中にある滑走路。日本軍の飛行場だったようだ。見も知らぬグライダーが突然、滑走路に現れたのだから、群の関係者は驚いただろう。
そのことがきっかけで、伯父はちょくちょくその飛行場に遊びに行き、複葉の練習機にも乗ったことがあるらしい。機械と人間の関係がどこか牧歌的な時代の話ではある。
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夕虹を刷く酸性雨通り過ぎ
平成七年、「海程」発表句。人の心はあっという間に夕闇に包まれてしまうだろうが、つかの間、空に浮かぶ水滴がつくる自然現象が人を和ませる。かりにその水滴が酸性雨の名残であったとしても。
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寄せてくる波の幾重に日の破片
平成七年、「海程」発表句。あまりに単純な景ゆえ、誰しも見たことがあるだろう。「寄せてくる」で、景の中心に作者の目。「日の破片」は、焦点を絞れず、まとまることのない外界の印象か。エンディングを迎えることなく、時間が漂っている。
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断水の蛇口が天に向き変える
平成八年、「海程」発表句。平成七年一月一七日未明に、阪神淡路大震災は発生した。紀音夫の住む芦屋市も甚大な被害を受けた。彼の震災に関する発表句は、一年後の平成八年から始まる。平成八年の「海程」発表句では、四十句中二十句近くが震災に取材した句である。
一九九五年(平成七年)四月二〇日発行の『悲傷と鎮魂 ─ 阪神大震災を詠む』(朝日出版社)は、「現代を代表する歌人、俳人、詩人作家二百九十七名が樹ち立てた鎮魂の紙碑」(帯文より)だが、林田紀音夫は寄稿していない。それ以前より、何らかの事件に取材したと考えられる句の発表時期が事件発生時から一年ずれる傾向があった。句会で同席したことのある人の回想によれば、「反時代的」という言葉を常々口にしていたようだ。それをも勘案すると、彼なりの意志があっての行動と考えられる。
上掲の句は、震災から離れて読むと、とぼけた味わいがある。ただしそれは、断水がめったに起こらず、起こってもすぐに復旧する状況での読解だろう。そうと読まれることを承知で、この句を提出している。自身は泣き笑いの境地か。
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