〔週俳第100号の俳句を読む〕
ひらのこぼ
身から出た味
叩かれて釘の頭や木の芽時 雪我狂流
こんな句を詠みたいと思います。五七五の中へ盛り込むものの「ほどのよさ」がある句は読んでいて気持ちがいいです。癒されます。虚子の「極楽の文学」の一方向じゃないでしょうか。とはいえ「木の芽時」と「頭」、新生活スタート時の「釘」といった仕掛けがあって楽しめます。
鏡にはすべて映らず猫の恋 山田露結
なんだかもどかしいような春宵の気分をこんな風に表現できるのか―。上手いですね。そうだなあ、人と人、猫と猫、相手のことは言葉や表情からだけでは分からない。人生なんてそんなものという感じもあります。秘めごととかのイメージもあっていいですね。
蛇出て蛇の穴ではなくなりぬ 中田八十八
禅問答を聞かされているような・・・。「そうか、穴を出てしまったら、蛇の穴じゃない。そりゃそうだなあ」などと、なにか人生論みたいなものに繋げようとつい考えてしまいます。こうして作者の術中にはまってしまうわけです。こんな句、好きです。
口という穴覗かれて三鬼の忌 津田このみ
自分が覗くことができないところを覗かれる。その穴の中に棲むのはきっと妖しい魂の狐火のようなものなんでしょうか。自分でコントロールできないものを他人に委ねてしまう。なんだか三鬼の雰囲気と重ねて読むと面白いですね。しかも万愚節。
また春が来て腰低くなりにけり 佐山哲郎
「とぼけ味」をこうすんなりと句にできるってすごいなあと「春風駘蕩区」五句を読んで思いました。まあこうした句は身から出た味ですから、真似のしようがないですね。「作者の持ち味」を存分に味わわせていただきました。
石いつも受身なりけり春の風 神野紗希
そりゃそうですね。「このやろ~」などと向かってこられても困ります。ぽこんと蹴られても、川へ投げられても、踏みつけられても石は受け身です。気ままに春風の中をぶらぶら。そんな作者の気分が伝わってきます。それをちょっとひねってという技ありの句です。
あたたかや松のまはりの松ぼくり 久保山敦子
A音のリフレイのリズムが心地いいです。松のまわりに松ぼくりがあるのはもちろん当たり前ですが、それが「あたたか」ということなんだと納得してしまいます。作者のおだやかな表情や視線が読者にじわっと伝わってきます。
≫ 週刊俳句 第100号
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2009-04-12
〔週俳第100号の俳句を読む〕ひらのこぼ 身から出た味
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