2009-04-12

〔週俳3月の俳句を読む〕広渡敬雄 季節を先取る楽しみ

〔週俳3月の俳句を読む〕
広渡敬雄
季節を先取る楽しみ



まつくらな海押し寄する寒昴   井越芳子

浴室の鏡に春の海ありぬ

つきあたりふぶきのごとき野梅かな


片山由美子氏が角川俳句(平成19年9月号)の「今日出合う季語―9月」で、エジプト・シナイ山での自身の体験から、満天の星月夜でも地上は真っ暗闇で、月夜とは違っていたと述べていたことを思い出した。寒昴の煌々とした光りの中、眼下の海は更に闇を重ねて押し寄せる様な感覚を得たのだろうか。写生句でありながら心象句と解することが出来るのが、この句の魅力のポイントかも知れない。

海辺のリゾートホテルの浴室の景。展望の良い浴室の鏡に写る自分の姿の後ろに洋々と春の海が広がり、次第に自分自身も春の海に同化する。春の海の駘蕩が心地好い。

上五を名詞の「突当り」と見るか、動詞と見るかで解釈は異なる。筆者としては、突然に眼前に現れた満開の野梅による網膜への衝撃を詠んだものと解したい。桜と違い「梅」の冷たさ、凛々しさ、律儀さ。まして「野梅」ならば…。

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蕎麦の花思ったよりも固い握手   宮崎斗士

作品10句に「擬態語」が多く、特に「触覚」を意識している作家かと思った。
その観点から掲句を鑑賞すると、作者は「硬い」「固い」「「堅い」から意識して「固い」を選択したのだろうか。一面の蕎麦の花を背景にした別れのシーンの握手と解するのが自然であろう。蕎麦の花のしみじみとした寂寥感とは裏腹に、握手する相手の何か知らぬ強い意志が俄かに異質物のように意識される。さっきまでのやや沈んだ語らいとは一転して。

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初蝶にぶつかりさうに歩きけり   高浦銘子

初花を仰ぎて空を見失ふ


初蝶はあちらこちらに挨拶をするかの様に、嬉々としてその身体ごとぶつけるかに巡る。その初蝶に作者はぶつけられるのではなく自らぶつかる様に歩く。春到来を身体ごと実感したい作者の心の躍動が強く感じられる。

ほんの一二輪の桜を見つけた時の心のときめきは抑え難い。じっくり見ようとしてその一輪に視線を移した瞬間、まだ葉もない桜の樹間から、燦々と光が降り注ぎ、逆光にあったように、青空は視界から消える。誰もが経験したことながら、印象深い句となったのは、やはり、初花の力なのかも知れない。

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蒼天にさらされてゐる桜貝   神戸由紀子

美しい桜貝には優しさ・幸せのイメージがあるが、この句はどことなく、孤高なもっと言えば、蒼天の十字架にキリストならぬ桜貝が磔刑に処せられている
連想も与える。浜辺のひんやりとした桜貝とまだまだ春寒の空。

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引導を渡しはなやぐ落椿   市堀玉宗

青饅を嗜み人に遅れを取る


落花した紅椿。その椿に引導を渡して華やぐと表現するのは、やはり僧籍の人の死生観であり、慈愛の心持ちの発露であろう。椿の木の下に絨毯の様広がる落椿。その景が、まるで極楽浄土のように感じるのは筆者だけではあるまい。

青饅は、葱、浅葱をさっと茹で、浅蜊等と一緒に酢味噌で和えたもの。
酢の程よい配合に、香りの良い食感が魅力的。それをじっくり味わいながら、あわただしい人の世にやや遅れ取ったかと言う作者。しかし、作者は全く気に留めている風でもない。いやそれを誇っているようでもある。心豊かな人生を送っている様子が窺え、魅かれる句。

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おほゆびの爪の半月あたたけし   青木空知

てふてふのもしやさつきのてふてふか


爪の付け根の半月は、他の部分がやや赤みがかっているのに対し、健康な人は白っぽく、半月と言うよりやや弓張月に似ている。寒さ厳しい折、ふと見た親指の半月に暖かさを感じたと言うのは、やや意表をつくが面白い視点と思う。

出合いは別れの始まりとも言うが、嬉々と飛び回る蝶に遭遇し、しばらくして再び蝶に出合ったとしても、果たしてさっきの蝶かどうかは、定かではない。しかし、もしや、さっきの蝶ではとの思いが頭によぎった瞬間、この蝶は作者の意識からは離れられない存在となったのであろう。「てふてふ」のリフレーンが、蝶の翅音にも声紋があるかのようにさえ感じられるから不思議だ。

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うつくしき順に白鳥帰りけり    大島雄作

馬跳びの馬に近づく春の山


白鳥は文字通り、渡り鳥の王者。故に総じて美しく、端正に詠まれることが多い。その意味で〈大白鳥白が好きとは限らない〉(池田澄子)の句はシニカルな視点で話題となったが、掲句もそれに似た読後感がある。茨城の女性には、申し訳ないが、江戸時代の初期、常陸(現茨城県)の名門佐竹氏が秋田に転封の際、際だった美人を皆引き連れていったので、秋田には美人が溢れ、翻って茨城には美人が少ないとの俗言がある。そう言う風に解すると、今まだ残っている白鳥は、何となく美しくないように思えてくる。シニカルな視点ながら、白鳥なら許せるかとの思いもする俳味旺盛な句と思う。

前屈みになった馬跳びの馬が三つ四つ連なる先に、まるでその続きのように丸い春の山が見える。馬を飛び越えるため、えいとばかり加速して馬に走り寄ると、更に先にある春の山まで近づいてくる。軽妙なタッチの句ながら、少年達への賛歌でもあろう。作者の「かがやく冬菜まかがやく吉野の子」と同じ思いの句とも言えよう。

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産声のまはりの無音花吹雪   鶴岡加苗

産み終へてみればこの世は花ざかり


作者自身の出産の体験を十句にまとめた作品。よく言われる「その時」しか詠めない句は「その時」にしっかり詠むべしを実践したもので臨場感がある。
裂帛の産声が分娩室に響き渡る時、他の一切の音が消えるとの大胆な表現は実感そのものなのだろう。

産後の安らぎの眼には、満開の樹からひらひらと散る桜が眩しい。
ひよっとしたら、陣痛の時の瞼にも満開の桜が映っていたのかも知れない。

筆者は、今年から旧暦、新暦カレンダーを自分の部屋に並列に掛けている。
旧暦を基準とした歳時記は、現代では季節的にはやや早くずれた感じも否定しえないが、逆説的に言えば俳句にはそれを先取り出来る楽しみも与えられていると言うことではあるまいか。




猫髭 十句の封印による反祝婚歌 10句 ≫読む
井越芳子 春の海 10句 ≫読む
宮崎斗士 思うまで 10句 ≫読む
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大島雄作 納税期 10句 ≫読む
鶴岡加苗 抱けば 10句 ≫読む 


 

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