2009-04-12

〔週俳3月の俳句を読む〕太田うさぎ 合わせ鏡のように

〔週俳3月の俳句を読む〕
太田うさぎ
合わせ鏡のように



一枚の銅版画一月の夜   猫髭

俳句が組み込まれている詩を何篇か読んだことがあるが、“封印”という形式は初めてで面白い試みと思う(正直なところ私は、封印というより小川軒のレーズンウィッチをなぜか思い出して食べたくなってしまったのだけれども)。
銅版画の持つ陰翳にはなるほど一月の夜が相応しい。と感じるのは詩の内容が句に影を投げかけているからなのだろうか。読者は詩を読みながら銅版画そのものや銅版画の存在している空間を自分なりにイメージするだろう。一方、句を手がかりにして詩を読み解こうともするに違いない。形を異にする詩(俳句は詩かということはさておいて)が二枚の合わせ鏡のようにお互いを照らし合い、それぞれ奥行きを深めることが出来るだなんて少なからず驚いた。とはいえ、この句だけが独立して置かれていたとしてもやはり私が頭の中に描く銅版画は変わらないような気もする。

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海光や蕊まつすぐに落椿   
神戸由紀子

印象鮮明。全体に優しくやわらかな印象でまとめている作品のなかで、ストレートで力強く、読んでいて背筋が伸びるような句だ。落ちている椿の蕊が真っ直ぐとは、言われてみると確かにそうだったっけ。蕊がふにゃふにゃしている落椿は落椿の風上にもおけないだろう。「まっすぐ」がやはり椿の有り様をしっかり言い当てていると思う。「海光や」の切れも潔く気持ちいい。椿の花びらの赤さ、まだ艶を失わずしっかり蕊の白さ、そして花粉の黄が早春のきらめきによく映える。元気で明るい落椿だ。
 
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おほゆびの爪の半月あたたけし   青木空知

思わず自分の手を眺める。他の四本に比べると親指の爪は大きくて半月もなかなかな存在感を示しているではないか。見ようによっ ては桜満開の山のようでもある。そんなことを考えているとのんびりといつのまにか和んでいる自分がいた。この気分はたしかにあたたかさなのだろう。「おほ ゆび」の言葉遣いも句をおおどかにしているのかも知れない。
十句を読んでいて、作者は自分の感じ取ったものをそのまま表そうとして色々と試みているような印象を受けた。すべてが成功しているとは言いがたいけれど、常套な言い回しや決まったものの見方に陥りがちな自分を振り返り、ちょっと恥じ入ったのだった。

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マンションの昼の閑けさ花水木  鶴岡加苗

この句がまったく別の句のなかに存在していたら、あまり目を惹かなかったかもしれない。出産前後と赤ん坊のいる暮らしを描いた連作の最後におかれることによって魅力を増したように私には思える。マンションやアパート住まいで外に仕事を持つ人ならば、休みを取って家にいるときに周囲のひっそりしていることに驚いた経験はあるだろう。句会などでこの1句だけを読んだならば、そのようなよくある風景としか捉えなかったかもしれない。ところが、「抱けば」というタイトルの下ここまで読んできた私は、その閑けさのなかに彼女の小さなこどもがいることを知っている。乳飲み児と母の二人きりの静かなひととき。それを想像したときに、「閑けさ」がたんなる無音を表すのではなく、ゆたかでおだやかなものとして意味を持つことに気づく。そしてまた、9句目まで登場し、最後に表面上は姿を消している赤ん坊は、実はここで最も匂いやかに存在しているのではないだろうか。花水木がそのように思わせるのだろうか。連作についていろいろ考えさせてくれる作品だった。




猫髭 十句の封印による反祝婚歌 10句 ≫読む
井越芳子 春の海 10句 ≫読む
宮崎斗士 思うまで 10句 ≫読む
高浦銘子 てふてふの 10句 ≫読む
神戸由紀子 春眠 10句 ≫読む
市堀玉宗 口伝 10句 ≫読む 
青木空知 あたたけし 10句 ≫読む
大島雄作 納税期 10句 ≫読む
鶴岡加苗 抱けば 10句 ≫読む 


 

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