2009-05-03

林田紀音夫全句集拾読 066 野口裕


林田紀音夫
全句集拾読
066





野口 裕




軒並みに不意に瓦礫の空雑多

平成八年、「海程」発表句。しばらく阪神淡路大震災に取材した句が続く。激震が襲ったあとの景色はこの通りだっただろう。前掲句もそうであり、この後に続く句もそうであるが、彼は地震そのものではなく、地震後の一変した日常生活と身のまわりの風景に注意が向けられている。

なんとなく、自身が苦しかった時代を重ね合わせて眼前の推移を見ているところがある。


午後になる炊き出しの湯気ひとの息

寝食のいずれも欠けて地震の火

ああと鴉海を近くに激震後

平成八年、「海程」発表句。これらの句に、同じ傾向を嗅ぎ取ることができる。

 

平成七年当時、私のPCでは「じしん」を漢字変換すると、真っ先に「地震」が出てきた。阪神地区在住の人間ならそれが当然ではあるが、一年経たぬ内にその変換順位は、「自身」、「自信」などの後になった。今回、改めて変換順位がトップになったのを確認して、ちょっとした感慨があった。紀音夫の中では、あれ以来変換順位はずっと一番だったのではないかとも思った。

地割れ大きな未明の被災の顔いくつ

平成八年、「海程」発表句。このような大事件に取材した句においても、紀音夫は紀音夫である。「大きな」の位置に注目。位置を変えても、「大きく」と整えても、心臓の鼓動がおさまらない内に詠んだような感覚は消えてしまう。

落日を胸に液量過多の都市

平成八年、「海程」発表句。地震関連の句に挟まれているので、「液量過多」が地震に伴う液状化現象を指しているとわかるが、独立して取り出すと分からなくなる。「涙」、「体液」、「雨」など多様な連想を誘うことになる。紀音夫は、地震に限らず、特定の事件に取材した句を一般化の方向へ展開する傾向がある。今までも、それと分からぬ形で幾つも紛れ込んでいただろう。

 

軽震の起きて確かにまた夢に

平成八年、「海程」発表句。あの当時は、私のように被害ほぼゼロの人間でも、余震のあるたびに動悸が激しくなった。それが夢に出てくるということは大いにあり得る。

ただし、この句自体の詠まれた状況を切り離して考えると、別の解釈も可能となる。「軽震」が、平穏無事の日常生活に起きたちょっとした異変というニュアンスを引き出すからだ。無理かとは思うが、こんな大異変時にも微妙な感覚を感じ取った、という意味を込めているかもしれない。



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