2009-05-10

07青春の鏡 ~住宅顕信小論~ 蜂谷一人

青春の鏡 ~住宅顕信小論~

蜂谷一人


 ずぶぬれて犬ころ
 春風の重い扉だ
 若さとはこんな淋しい春なのか

俳人、住宅顕信が亡くなって22年。句集「未完成」には短い生涯の中で顕信が詠んだ281句が収められている。

2002年、精神科医の香山リカが働きかけて3冊の本が中央公論新社より出版され、それをきっかけに俳句に興味を持たない若者たちの間にまで支持が広がった。自由律で決してわかりやすいとはいえない顕信の句が、なぜ今若者たちに受け入れられるのだろうか。

私は2008年9月、ハイビジョン特集「若さとはこんな淋しい春なのか ~住宅顕信からのメッセージ~」を制作した。この小論では取材を通じて知りえた顕信の素顔について語りながら、顕信の句が今なお多くの人に読み継がれる理由を考えてみたい。

顕信は1961年、岡山市に生まれた。本名、住宅春美。高校には行かず、中学を卒業すると調理師専門学校に通い、市内の飲食店に就職した。

しかし長続きせず職を転々とした。22歳の時、突然僧侶になると宣言して家族を驚かせた。通信教育で僧侶の免許をとり、京都で修行。顕信という僧侶の名前をいただいた。その直後、急性骨髄性白血病を発症して岡山市民病院に入院。3年にわたる闘病生活の末、亡くなった。享年25。

実は顕信が俳句を始めたのは入院してからのことである。荻原井泉水が創刊し、尾崎放哉も所属した自由律俳句雑誌「層雲」に病床から投稿するようになり、そのメンバーから添削で句の指導を受けた。

作句を始めてから亡くなるまで3年たらず。まさに流星のように俳壇に登場し、忘れ難い光芒を残して消えていった人生だった。

顕信の代表句のひとつ、

 夜が淋しくて誰かが笑いはじめた

病状がいよいよ押し迫った1986年秋に詠まれたもの。白血病の末期、痛みはすでに全身を覆い、吐血、強い吐き気などに見舞われる。化学療法が繰り返し行われるが、もはや効果をあげない。死と向き合う顕信。消灯後の病院の長い廊下に笑い声がこだましている。その笑い声は作者自身のものかもしれない。絶望と希望がないまぜになった乾いた笑い声。

 若さとはこんな淋しい春なのか
 
恐らく最も有名な一句。淋しい、という言葉を多用するのは顕信の句の特徴だが、安易に使うと安っぽくなりかねないこの言葉をうまく活かしている。二十代、いのちが一番輝いているその時にしか詠めない作品。青春とはみずみずしく、しかし傷つきやすく、ちょっと恥ずかしいそんな季節なのだろう。

 春風の重い扉だ

万物の芽吹く春。しかし、迫る死を身近に感じている人間は、春さえもこんな風に捉えるのだろうか。ぎりぎりの絶望と狂気、そして、いのちへの限りない哀惜。重い扉の向こうに広がるのはどんな景色なのだろうか。

顕信は入院の前年、一歳年下の女性と結婚した。しかし発病を機に離婚。手元には一粒種の春樹さんが残された。顕信の病室には付添いの人のための畳が敷かれた一角がある。顕信は入院してからも春樹さんを病室に呼び寄せ、畳の上に玩具を置いて一緒に遊ぶのを楽しみにしていたという。

 気の抜けたサイダーが僕の人生

24歳(2008年9月当時)になる春樹さんは、この句が一番好きだという。

「気の抜けていない普通のサイダーを人生に例えると、何かに熱中しこだわった状態。一方気の抜けたサイダーは、こだわりのない状態ではないかと思います。これはゆっくり生きて行けばいいんだよ、という父からのメッセージなんですよ」


三歳で父を亡くし、ほとんど父の記憶がないという春樹さん。この言葉には自分を遠くから見守っているはずの父への思いが投影されているようだ。

しかし、この句を違った風に読む読者も大勢いた。顕信の句の解釈はひと通りではない。読み手の数だけ鑑賞が生まれる。すべてを言い尽くさない自由律俳句だから、様々な答が成立しうるのだ。番組では、何人かにこの句を鑑賞してもらった。

岡山市でカフェを営む22歳の若者。カフェを経営する前はデイ・トレーダーだった。ライブドア・ショックによる株価暴落を機に、仕事を変えたという。彼の言葉。

「サイダーは商品です。でも気の抜けたサイダーには商品価値がありませんよね。この句で顕信は自分を価値のない人間と自嘲しているのだと思います」

儲けるか、損するか、金がすべての元デイ・トレーダーらしく、こう分析した。

番組中で顕信役を演じた俳優の伊藤敦史さん、24歳。

「気の抜けたサイダーも悪くないって言っているのではないかと思います。勿論、僕は炭酸がしゅっわっとした普通のサイダーも好きだけれど、飲みかけを冷蔵庫に数時間入れて炭酸の抜けたものも好き。自分はそれでもいいという生き方、顕信の生き方が見えてきます

独自の道を行かなくてはならない俳優としての矜持がこの言葉に見える。

「顕信は自分のスーパースターだ」という女子大生、22歳。

「気の抜けたサイダーは甘いんですよ。甘いだけのジュースのような人生を送っているニートっぽい生活を送っている若者は沢山いて、私もその一人。ちゃんと頑張らなくては駄目だと顕信に叱られているような気がします」

いかがだろうか。顕信の句は読む人によって、全く違う風に受け止められている。

ゆっくり生きろという、父からの励ましと捉える春樹さん。人間の価値について思いを巡らす若者。ひとと違う生き方をしていてもそれでいいのだと考える俳優。甘えた自分が叱られているような気がするという女子大生。

俳句の鑑賞というよりは、それぞれの生き方の開陳。人生論の本がよく売れる現代日本の一断面のようでもある。顕信の句が、若者に今支持されている理由の一端がここに見えないだろうか。

顕信の句碑には今も若者たちが訪れる。彼らにとって顕信はヒーロー。その姿は私にある光景を連想させる。歌手・尾崎豊の石碑を訪れ、花を手向ける人々の姿だ。尾崎と顕信。夭折した二人の天才。青春の危うい気分を言葉にすることに成功した人は少ない。

若者たちばかりではない。様々な人生の重荷を抱えた大人たちもまた、顕信に魅了されていた。顕信が開いた自由律の句会に参加したNNさん。

顕信が小康を得て一時退院をしていた時期だった。藍染め師のNNさんは、当時夫を失い悲しみに暮れていた。伝統的な俳句を学んでいたが、何もかも厭になり仕事も俳句もやめようと思っていたという。

「俳句はやめようと思っていたのですが、自由律だというのでちょっと面白そうかなと思い、軽い気持ちで参加しました。午後1時から始まった句会が午後9時になっても10時になっても終わらない。その間、食事をするわけでもなくただ俳句の話をするばかり。それも殆ど顕信が一人で喋りました。孫のような年の顕信が私に、こんな言葉遣いは駄目だ、と指示までする。生意気だなあと思いましたが、これだけひとつのことに一生懸命になれるのは凄いと感心もしました。俳句に打ち込む姿勢には一種の殺気のようなものすら感じました」

池畑秀一さん。岡山大学の数学の教授である。1986年8月、「層雲」に入会したばかりだった池畑さんに顕信から電話がかかってきた。そこから短い交友が始まった。

「12月24日、病室を訪れると病状が極めて悪化しているのに驚きました。彼は死が間近にせまっていることを静かに語りました。立派な態度でした。そして句集の準備を進めていること、表題は未完成とすることなどを話してくれました。原稿は顕信が自選し、もう字が書けなかった顕信に代わって付添の方が筆記したものでした。顕信はそれを私に見せて、どうですかと問いましたが、私は胸がつまって何も答えることができませんでした」

顕信が死去したのは翌年2月7日。池畑さんは、遺稿を出版することが自分の使命だと感じ奔走する。

「私は数学の世界で頑張ってきました。しかしその頃、ある種燃え尽きたような感じも抱いていたのです。それだけに顕信の句集の出版は、何としてもやり遂げたいと感じていました」

夫を亡くしたNNさんは、顕信と出会ったのち藍染めの仕事を再開。自由律の句集も出版した。池畑さんは顕信の句集の出版にこぎ着け、今日のブームの扉を開いた。わずか25歳で亡くなった若者とのほんの短い間の交友が、周囲の人々の人生を変えていた。

顕信に接した人の多くは、その生き方に触れて自分の人生を振り返り、その意味を問い直そうとしていた。顕信の句を読むことは、実は自分の生き方を見つめることなのかも知れない。そこに顕信の句が今も読み継がれる秘密がある。

 ずぶぬれて犬ころ

顕信の病室からは街路は見えない。向かいの棟の壁が見えるだけだ。狭い病室を一歩も離れないまま、顕信の目は壁の向こうに雨に震える幻の犬を見ている。それは、土砂降りの雨に迫りくる死を見ている顕信自身の姿に他ならない。尻尾をまるめ震えている小さないのちへの共感と同時に、存在そのものへの深い洞察が見てとれる。そして、その幻の犬を見る読者たちもまた限られた時間への思いに深く共鳴するのだ。

死者は年を取らない。歳月は残酷で、生き残った者たちの表情に情け容赦なく老いを刻んでゆく。しかし、顕信の肖像は今も25歳のままだ。永遠の青春の真っただ中に、顕信のイメージは宙吊りされている。私たちは人生の意味を探しておずおずと顕信の句集を覗きこむ。様々な問いを投げかけ、返って来るこだまの意味を読み取ろうとする。私たちはどう生きればいいのか、生きることの意味とは何か。答えを求めて句の解釈を試みる。

顕信が若くして亡くなったという物語が、様々な想像をかきたてる。自由律であることが、様々な解釈を可能にする。私たちがそこに見ているのは、顕信ではなく実は自分の分身だ。若く傷つきやすい青春の自画像なのだ。そして顕信は、私たちの青春の鏡として、きらめく光の中に永遠に浮かんでいる。


                                  了

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