2009-05-10

11俳句における一物仕立ての定義 その2 格闘編

いつき組俳句部 俳句における一物仕立ての定義 (3回シリーズ)

その2 格闘編(2008年7月号より)

私たちこうして

一物仕立ての


分類をした






前回(5月号)の第1弾の反響の大きさ(省三さん他部員急増!)に、喜びと不安を抱えつつの第2弾。

一物仕立ての俳句と一口に言っても、そのバリエーションは多彩。それらを論理的に分析・分類しなければ、取り合わせの句との違いを説明できない。
そこに気づいてしまった俳句部の、約一年に及ぶ怒濤の戦いのドキュメント。
 文・いつき組俳句部 部長 津田美音
           &いつき組俳句部

分類するのは
「有季定型」の俳句


まず本題に入る前に、前回に引き続き、片山由美子氏の論をもう一度抜粋する。

「一物仕立て」の俳句は、季語を外したら何の意味もなくなってしまう。季語こそすべてなのである。(『平成秀句選集 別冊俳句』角川学芸出版より)

また小澤實氏の論では
一物俳句と取り合わせの俳句では季語の使い方が全然違います。季語を詠む句、季語を描写する句が一物俳句、季語と季語以外を取り合わせるのが取り合わせ。 (「おとなの愉しみ」俳句入門 淡交社より)

両論のキーワードは「季語」。

俳句には、無季の俳句や自由律俳句など、いろんな俳句がある。しかし、私たち俳句部は「有季定型」の句を対象とすることを決めた。その理由は俳句の根本が「有季」から発生したのであるし、そこから派生して無季の句が生み出されてきたから。理酔氏曰く「根っこのないものにいくら水やっても葉は出てこんし」という言葉で一括された。

「季語」を
1カウントとする


「有季定型」の俳句を対象とすると、その句には必ず「季語」が入ることとなる。つまり、「一物仕立て」の「一物」とは季語のことであり、まず「季語」を「一物」として1カウントとすることにした。季語以外の要素があれば2カウントと数え、2カウント以上数えた段階で、その句は「取り合わせ」の俳句の可能性がある。
 ここで、前回組長から渡されたプリントの句を検証してゆくことに。

藤の花長うして雨降らんとす  子規
「藤の花」で1カウント、「雨」で2カウント?

藤浪に雨かぜの夜の匂ひけり  普羅
 「藤浪」「雨」「かぜ」「夜」で4つの要素?

天心にゆらぎのぼりの藤の花  欣一
さわがしき地にたれさがり藤の花  六林男
 それぞれ「天心」「地」と季語の「藤の花」で2カウント?

折りとりてはらりとおもきすゝきかな  蛇笏

「折りとりて」にはアクションを起こしている作者の姿が脳裏に浮かぶ。さてこれを1カウントするかどうかで意見が食い違う。編集長いわく「すすきと重さの取り合わせともとれるし、作者がすすきを折るという行為をどう捉えるかが問題。そして納得のいく説明が必要だ」と。

押し分けて見れば水ある薄かな  北枝

「押し分けて」「見れば」「水」と季語の「薄」で4カウントか? なんでもかんでもカウントしていけば、それこそ「一物仕立て」の俳句なんてそうやすやすと成立しないのでは?と早くも行き詰まりの感。

それを打破すべく組長のお言葉が。

「作者の存在があって初めて俳句が生まれる。作者の存在を全く感じない俳句というのは、この世に存在しないのでは? また、季語の単語だけで俳句が出来るわけではないので、その季語に付随する情報を、どこまでカウントするかが問題。俳句の中で、季語に付随する情報や背景を分類・整理し、一物仕立ての俳句として、どこまで許容できるのかを探ってみましょう」

まだまだ混沌とした夜明けを待つようである。


一物仕立ての句、
数多あまた……

盛夏。前回の部会での結論を受け、さまざまな「一物仕立て」と思われる句を選りすぐって集まった部員達。各自が持ち寄った「一物仕立て」と思われる句をそれぞれ一覧にする。

そんななか、香奈さんが「これは、片山由美子さんの『一物仕立て』の文献に例句として掲載されていたので……」という俳句を検証することに。

あと戻り多き踊りにして進む  道夫

みな考え込んでしまう。今まで「一物仕立て」とは「写生しやすい動物や植物のジャンル」という先入観があり、このような「生活」のジャンルはあまり想定していなかった。

「一句のなかに時間の流れが見える。『時間』も1カウントすべきじゃないかな」
数人がうなずく。

「けど、季語の『踊り』とはこういうものでしょ! ちょうちんに明かりがともり、太鼓櫓や音楽があるのは当たり前だし。それに『踊り』って、手をこうかざしたこの一瞬が『踊り』?! 手を上げ下げし、脚を前に後ろにしながらするもんでしょ!!」とむうんさん。

遊船にまだまだ人の乗るらしき  爽波

これも「生活」のジャンルで、季語『遊船』に第三者の存在は必須。また『踊り』の句と同様、「まだまだ」に時間経過もうかがえるし……。

問題は、季語にどんな情報が付随して、一句が成立しているか。ここで問題点を整理してみると……

問題1 作者、第三者が存在する場合
 (例)
釣れまつか濁鮒かてあきまへん 廣太郎
砂日傘ちよつと間違へ立ち戻る 爽波

どちらも「生活」の季語であり、人を介さずにはいられない。特に「砂日傘」の句は雑多な人出のなかのいかにもありそうな「一物仕立て」の句の気がしてくる。
  
問題2 比喩・見立て・擬人の俳句
 (例)
チューリップ大笑ひして散りにけり 奈美
一枚の餅のごとくに雪残る 茅舎
ひるがほに電流かよひゐはせぬか 鷹女

「向日葵は太陽のようだ(比喩・見立て)」や「向日葵が笑っている(擬人)」系の俳句。「大笑ひ」「餅のごとく」という分かりやすい見立ては「一物仕立て」かなとも思えるが、「ひるがほ」に「電流」は、はて……?

問題3 作者の思いや主観が句に存在している場合
 (例)
冬蜂の死にどころなく歩きけり 鬼城

冬蜂が本当に「死にどころなく」歩いているかどうかなんて、冬蜂自身じゃないと分からない。しかし、作者にはそう見えた。

問題4 (天地自然の)背景も詠み込まれている場合
 (例)
遠山に日のあたりたる枯野かな 虚子

「枯野」という季語に対して、「遠山」の存在は、許容できるか?

問題5 時間が読み込まれている場合
 (例)
だんだんと踊整ひつつありぬ 廣太郎
流れゆく大根の葉の早さかな 虚子

「踊」は季語そのものに「時間」の概念があるが、「流れゆく大根の葉」はどうなのか?

問題6 鑑賞によって、一物か取り合わせかが変わる場合
 (例)
退屈な時間蓑虫垂れてをり 奈美

「退屈な時間」に垂れている蓑虫の一物仕立ての俳句と読むことが出来るが、作者の「退屈な時間」と「蓑虫」の「垂れてをり」という状態との取り合わせと読むことも出来る。「一物仕立て」と「取り合わせ」の両方の読みが成立する俳句は、どのように判断するか?

問題7 季重なりの場合
 (例)
おろおろと寒さの夏の油蝉  由美
くろがねの秋の風鈴鳴りにけり  蛇忽

「夏」の「油蝉」の「夏」を1カウントとすると、「油蝉」で2カウント? それとも、「夏の油蝉」で1カウント? 「秋の風鈴」も同様。

ここで、ホワイトボードに大きな円が描かれる。結論を出すまでにはほど遠いが、少しずつ、そもそも何が「問題」なのかが分かってきた。

だれもが納得のいく分け方をするには、明確な定義と説明が必要だ。部員のなかでさえ意見が食い違う定義は説得性に欠け、弱点があるということ。さらなる定義の格付けが要求されるのだ。

まだまだ太陽に向かって飛ぶイカロスのようなわが俳句部である。


「完全一物
仕立て俳句」とは!?

 
秋。運動会や地区行事で欠席者多数のなか開催。

「これは絶対一物仕立てだと誰もがいえる俳句っていうのは、季語を写生しやすい『植物』『動物』(かたちあるもの)が多いのでは?」

確かに『時候』の季語で「一物」は至難の業だと思われる。(とは言え、「今日何も彼もなにもかも春らしく/汀子」という荒技?もある。みなさん挑戦してみてほしい)また、前回いろいろと議論の出た「生活」のジャンルでは、その季語の本意にまず人が含まれ、その様子、所作、そして時間の流れが読み手の脳裏に浮かぶ。で、あれば、「生活」の季語で「一物仕立て」も絶対あるはずだ。

ここで初心に返り、誰が読んでも「これは一物仕立ての俳句」と分類する俳句はどんな俳句なのか、を検証することに。そこで、第1弾で登場した素十の句が再登場。

甘草の芽のとびとびのひとならび  素十

「とびとびのひとならび」なのは、季語である「甘草の芽」のこと。この句のように、季語のことのみで作られている俳句を「完全一物」とした。そして、季語以外の要素が存在してる一物仕立ての俳句をいくつかに分類してみることとなった。

暫定分類が、以下の通り。(あくまで暫定)

「完全一物」(季語のことのみの俳句)
「天文」(空・雨・風などの存在)
「地理・背景」(山・地面などの背景の存在)
「時間の存在」
「作者・第三者の存在」(人が詠み込まれているもの)
「比喩・見立て・擬人の存在」
「その他」(鑑賞によって一物か取り合わせかどちらにも読み取れる俳句や季重なりの俳句、一物の俳句のようだけど、分類の仕方が分からない俳句など)

この分類を元に、部員の持ち寄った「一物仕立てと思われる句」を検証する作業に入った。

だんだんと踊整ひつつありぬ 廣太郎 流れゆく大根の葉の早さかな 虚子

共に「時間の存在」、と思いきや反対意見が出る。

「大根の葉の句は、川か何かを流れている情景だよね? 普通、大根の葉をよむとき川の情報は含まれてないよ。ならこれは川を流れるという情景のほうが強いので『背景』に入れたほうが……。逆に、『踊』は季語の本意に、踊っている時間も含まれているから、『完全一物』の気もしてくる」

そんな議論の末、「踊」の句は、「完全一物」に。そして、「大根」の句は「背景としての時間の存在」という分類に入れることに。

白魚のさかなたること略したり  道夫
飛込の途中たましひ遅れけり  道夫

「一物仕立てらしく見えるよね、取り合わせではなさそうだし……。でもこれって、ウイットでしょ? これはどこに分類されるの?」

「比喩・見立て・擬人」とも違う俳句。そこで、「機知・理屈」の分類を追加することに。

こんなふうに行きつ戻りつの話し合い。分類の項目も増やしたりまた統合したりと、常に流動的。しかし着実な手ごたえを感じ、そして前進。ようやく一筋の光が見えてきた。


いよいよ分類の
定義完成!


既に冬。一物仕立ての俳句の分類を始めて、半年経過。

「結局、天文も地理も時間も季語の背景の存在というところで、分類できるんじゃないかな」この意見を受け、今まで分類した項目を大まかにジャンル分けすることにした。

まずは「完全一物」。当初、「完全一物」は細分化していなかったが、「踊」の句を入れたことで、「観察」と「時間を経ての観察」の二種類に分けることにした。

0 完全一物
 (観察)
白藤やゆりやみしかばうすみどり  不器男
牡丹散てうちかさなりぬ二三片  蕪村
 (時間を経ての観察)
桐一葉日当たりながら落ちにけり  虚子
枯蓮の動く時きて皆動く  三鬼
 
次に人が詠み込まれている俳句、「作者・第三者の存在」の検証に入った。ここで、問題の俳句が登場。

亡き人の香水使うたびに減る 由美

「俳句に於ける『作者の存在』は主題に近いけど、『第三者の存在』というのは、むしろ背景に近いのでは」ということで、「第三者の存在」は背景に移動。そして、「作者の存在」のみを独立させた。

1 作者の存在
押し分けてみれば水ある薄かな 北枝
花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ 久女
軋みつつ花束となるチューリップ 絵里子

 次に「背景の存在」。ここでは「天文」「地理」「時間」の他に、先ほど追加された「第三者の存在」をまとめた。

2 背景の存在
 (天文)
天心にゆらぎのぼりの藤の花 欣一
 (地理・場所)
古池や蛙飛び込む水の音 芭蕉
遠山に日のあたりたる枯野かな 虚子
 (時間)
流れゆく大根の葉の早さかな 虚子

 やれやれまとまった、と思った矢先、登場したのが次の句。

鮟鱇の口より落ちし氷かな 雅子

「『氷』は『鮟鱇』という季語の本意に存在するもの?」。ここで意見が対立。

「鮟鱇と氷の取り合わせの句じゃないの?」「いやいや、鮟鱇が季語なのは、鮟鱇が美味しい季節だから。鮟鱇を運ぶために必要な氷が、口の中にあっても全くおかしくない」果ては「『おいしんぼ』ではこうだった」とか「『料理の鉄人』ではこうだった」などなど、議論のような議論でないような討論が白熱。さらに、

遠足バスいつまでも子の出てきたる

「『遠足バス』が季語なら一物仕立ての俳句だと思うけど、季語は『遠足』だと思うし……。『バス』をどう解釈するか?」

結局、「『バス』は季語『遠足』の本意に含まれるわけではないが、『遠足』の背景に存在しても不自然ではない」ということになった。そして、「背景の存在」に「季語に付随する情報の存在」という項目が新たに付け加え、「鮟鱇」の句と「遠足バス」の句を入れることにした。

次に「比喩・見立て・擬人の存在」と「機知・理屈」。これらの俳句は、作者の思考が加わっている俳句群。そこで、「作者の思考の存在」として、それぞれを分類する事にした。また、「比喩・見立て」の句と「擬人」の句とは、分けることが出来るので、別の分類にした。

3 作者の思考の存在
 (擬人)
尺蠖の真砂に落ちて怒りけり
チューリップ大笑ひして散りにけり 奈美
 (見立て・比喩)
一枚の餅のごとくに雪残る 茅舎
鶏頭のまだ紅唇のごとき花 雅子
ひるがほに電流かよひゐはせぬか 鷹女
 (機知・理屈)
涼風の曲がりくねつて来たりけり 一茶
箒木の影といふものありにけり 虚子
白魚のさかなたること略したり 道夫

「作者の思考の存在」については、これで完璧?と思いきや、組長から「人の『五感の感覚』を俳句にしたものや『感情』を詠み込んだ句があって、これらは見立てや機知とは違う感動があるので、別の項目を立てたほうがいいと思う」ということになり、
 (五感の感覚)
無花果をなまあたたかく食べにけり 絵里子
目の底を流れくる秋草の色 響子
 (感情)
泉ほどさみしきものを知らざりき いつき
ゆたんぽのぶりきのなみのあはれかな
が加わった。

最後に「その他」。ここまで分類すると、今まで「その他」に入れていた句も何とかなりそうだと気づく。

をりとりてはらりとおもきすすきかな 蛇笏

この句はすすきをおりとる「1 作者の存在」とおもきと感じた「3 作者の思考の存在ー五感の感覚」の組み合わせ。というわけで、「複合的要素の存在」として、それまでの分類の組み合わせによって作られている俳句を、一つの項目として立てることにした。

4 複合的要素の存在
をりとりてはらりとおもきすすきかな 蛇笏
日傘置く更けて戻りし玄関に 爽波
 (「置く」→「作者の存在」、「更けて」→「背景ー天文」、「玄関」→「背景ー地理・場所」)

 最後に、解釈、季重なり等の問題によって、一物仕立てか取り合わせかの判断にブレが生じる俳句を、「複数の解釈の存在」としてまとめた。

くろがねの秋の風鈴鳴りにけり
蛇笏
退屈な時間蓑虫垂れてをり 奈美

これでひとまず、(後でまた修正するかも知れないけど)分類すべき定義の完成。

リストにすると、以下の通り。

0ー1 純正一物(観察)
0ー2 純正一物(時間を経ての観察)
1 作者の存在
2ー1 背景の存在(天文)
2ー2 背景の存在(地理・場所)
2ー3 背景の存在(時間)
2ー4 背景の存在(第三者の存在)
2ー5 背景の存在(季語に付随する情報の存在)
3ー1 作者の思考の存在(擬人)
3ー2 作者の思考の存在(見立て・比喩)
3ー3 作者の思考の存在(機知・理屈)
3ー4 作者の思考の存在(五感の感覚)
3ー5 作者の思考の存在(感情)
4 複合的要素の存在
5 複数の解釈の存在

ここまで来たら、あとは実証。サンプルを決めて一物仕立てと取り合わせの俳句の徹底調査を行うことにした。そして、選んだのは『現代俳句最前線 上下巻』(北溟社 2003.4)。28名、各200句、計5600句をすべてこのふるいにかけ、一物仕立ての俳句の全貌に迫る。

次号、最終回は度肝を抜くこと間違いなし!?


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