2009-06-07

林田紀音夫全句集拾読 070 野口裕


林田紀音夫
全句集拾読
070




野口 裕





裸木の灯に浮く刻の鬼ひとり

昭和五十一年「花曜」発表句。「裸木の灯に浮く刻の」、「鬼ひとり」なのだろうが、「刻の鬼」と読んでしまいそうだ。「刻の鬼」とは、どんなものだろうと想像をめぐらすのが楽しい。

 

紙飛行機墜ち真空の昼移る

巡礼の白打ち寄せる海の際

冥界へ筍もはや竹の形

レコードの針を昔の死者へ返す

幽明のいずれともなく傘ひらく

水道栓洩れて久しく常夜の国

昭和五十一年「花曜」発表句。この頃、「海程」と「花曜」に同一句「形代の一片雲へ歩かせる」、「戦死者も玉砂利を踏む音の中」を発表しているが、時期が若干ずれる。「花曜」の方が後になる。どうも、「花曜」発表句の方に練れている印象がある。上掲六句はピックアップしたものではなく、連続した六句。第五句に自己模倣の嫌いがあるほかは、完成度が高い。

一句目、「真空」を「虚空」のニュアンスで使うことは、最近あまり見ない。ここでは、そのニュアンスなのだろう。「虚空」よりも、ぶっきらぼうに不器用に「無」を呼び込んでいる。その方が、紙飛行機にふさわしい。二句目は印象鮮やか。三句目、地上の竹になりかかった筍から地下を思いやる。六句目はその発想の延長線上にあるだろう。四句目は、死者と作者の関係をどのようにでも想像でき得るが、「レコードの針」が動かない。

今、「動かない」と書いたが、できればこのような俳句にまつわる専門用語は使いたくない気分があるので、他の書きようがないかずいぶん考え込んだが、思いつかない。いずれにしろ、扱いに繊細さを要求された「レコードの針」にまつわる独特の物質感はなつかしい。

 

こがらしに私語幾人の野辺送り

昭和五十二年「花曜」発表句。この年の「花曜」発表句は、「念仏の雲あり池にさざなみも」など、抹香臭いものが多い。その中でこの句などは、作者の思い入れが薄く、読みやすい。風がやむと、耳に届くひそひそ話。話題は死者のことか、残された者のことか。

 

落ちている軍手は片手指折れて

昭和五十二年「花曜」発表句。俳句検索(http://yoshi1.web.infoseek.co.jp/cgi-bin/haikukensaku.html)で、「軍手」を検索にかけてみると結構類想もあるが、「指折れて」は、やはりはっとするような表現だ。どこか、鶴彬の句を連想させる。

2 comments:

ameuo さんのコメント...

昭和五十一年「花曜」発表の6句、いいですね。

いつも楽しく読ませていただいています。

>「動かない」と書いたが、できればこのような俳句にまつわる専門用語は使いたくない気分がある

野口さんのセンスに賛成です。専門用語というより業界用語ですね。こういう語に、いつもうんざりします。鑑賞文でも、句会でも。

野口裕 さんのコメント...

使いたくないと言いながら、使ってしまうのは、逃げているなと書いたものを再読しての感想です。

日々小さな敗北を重ねながら生きていると、おおげさな思いも頭をかすめました。紀音夫の影響でしょうか。


あたたかなコメントを感謝します。