林田紀音夫全句集拾読 072
野口 裕
新聞に顔埋めて死ぬ男たち
昭和五十三年「花曜」発表句。しばしの仮眠を、「死ぬ」と表現。紀音夫と言えば出てくる常套句、ニヒリズムよりも、穿ちの方がこの句には似合っている。
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残響のテロ野の昼の魔法瓶
昭和五十三年「花曜」発表句。まず視覚的な確認を。横書きにすると、「の」の連続がうるさい感じになるが、縦書きではそう気にならない。
昭和五十三年が、年譜的にどんな年だったか、どんな事件があったかを確認せずとも、この句ではよさそうだ。かつての紀音夫の句は、遠くの世界の争乱に敏感に反応し、日常の事物が過去の戦争の記憶を反映して異様な景を見せていた。
薄くひらたく寝につくテロの暗さの夜(昭和四十四年)
ピストルの暗黒ひろがる珈琲(昭和四十五年)
夕べプールの声に流弾ひとつまじる(昭和四十六年)
「野の昼の魔法瓶」は、いかにものどか。記憶もついに途切れたか。
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手のひらを埋めて米研ぐ雨びたし
昭和五十三年「花曜」発表句。たぶん、かつて自身が作った「黄の青の赤の雨傘誰から死ぬ」などから、「雨」の持つニュアンスの中に死の影が分かちがたく結びついてしまったのかもしれない。手が水の中に浸かったからゆうて雨びたしやなんてしょうもない、などという読者のいることは彼の頭の中にはなかっただろう。作家と一蹴する読者の両方を想像するとなんとなく笑えてくる。
ゆくゆくは墓のひとつの春の人
昭和五十三年「花曜」発表句。無季の作家は、有季の句も作ることができるということを証明するような句。春は、「死」の似合う季節だ。
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2009-06-21
林田紀音夫全句集拾読 072 野口裕
Posted by wh at 0:30
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